瞑想が試されるとき
Oshoとともにいて、Oshoの講話を聴き、その瞑想のなかに坐っているのは至福のひとときです。 しかしOshoのメッセージは、その瞑想を日常生活のなかに持ち運びなさい、ということなので、ただ瞑想に浸っているということはゆ…
Oshoとともにいて、Oshoの講話を聴き、その瞑想のなかに坐っているのは至福のひとときです。 しかしOshoのメッセージは、その瞑想を日常生活のなかに持ち運びなさい、ということなので、ただ瞑想に浸っているということはゆ…
私は本を読んで素晴らしいと思ったときには、その人に会いに行くということをよくしていました。 本の情報と実際にその人に会うというのとでは、情報量が全然違うからです。 情報量というのは知識の量ではなく、その人の雰囲気というか…
書店「読書のすすめ」代表の清水克衛さんの言葉に「縦糸の読書」と「横糸の読書」という言葉があります。 清水さんの定義によると、縦糸の読書とは問いを見つける読書、横糸の読書とは答えを見つける読書とのことです。 Oshoの本を…
瞑想というのは、テクニックではないし、体験でもないというふうに言われています。 瞑想をすることはできないし、ただそれは起こるだけだ、と。瞑想は、その起こるための環境を準備することができるだけだ、と。 なぜなら、もしそこに…
瞑想するということは、常にマインドの恐怖との闘いです。 というのは正確な表現ではありません。 それだと瞑想がマインドと闘っているみたいですが、瞑想はマインドと闘っているわけではありません。 正確には、マインドのほうが瞑想…
Oshoのひとつの言葉を理解するのに何年もかかるときがあります。 何年かで少し分かるようになるならいいほうで、おそらく一生かかっても理解できない言葉がいっぱいあります。 たとえば「悟り」とか「光明を得る」とか。。。 それ…
瞑想とは何でしょうか? 瞑想については、100人いれば、100通りの瞑想についてのイメージがあるでしょうし、経験があるでしょうし、偏見があるでしょう。 瞑想について語るということは、それぞれの人の偏見を語るしかないように…
アメリカのオレゴン州の準砂漠地帯のど真ん中にコミューンを建設していた当時、Oshoは沈黙の中にいて、公の活動は一切していませんでした。 そのコミューンには5000人ほどが建設に携わっていました。マニーシャもその一員と…
マニーシャの「和尚との至高の瞬間」の本のいいところは、マニーシャの瞑想の実践が進むに連れて、彼女の瞑想の体験が深まり、それに応じて、Oshoの言葉への理解の深まりも私たちに示してくれるからです。 瞑想にはそれぞれの段階が…
人はどうして神を求めるのでしょうか? それはどうやら自分が不幸だからのようです。 自分のことを考えてみても、神様にお祈りしているときは幸せなときというよりも、不幸なときになんとかしてくれとお祈りしているときが多いようです…