プラシーボとは?

「プラシーボ」について

目次

●『あなたはプラシーボ』ジョー・ディスペンザ博士 著


薬も外科手術も行うことなく、思考ひとつで完治出来るものだろうか?

真実を言えば、あなたの想像を超える数々の実例は存在する。

『あなたはプラシーボ』で、ジョー・ディスペンザ博士は、心臓病、鬱病、重い症状の関節炎、あるいはパーキンソン病の震えすら、プラシーボを信じることで克服した人々の多くの実績を紹介している。

ジョー博士はこう問いかける。「プラシーボの原理を教え、外界の物質に頼ることなく、人の健康を内側から引き出し、最終的に人生を変えることは可能だろうか」?と。

そして彼は、彼のワークショップで、プラシーボ効果と呼ばれる実用的な方法に基づくディスペンザ式個人変容術を習った参加者たちが驚異的なヒーリングを起こした(カラーの脳スキャンを含む)科学的な根拠を網羅する。

本書の最後には、ヒーリングの第1ステップである、私たちの進化を阻む思い込みや認識を変えるための瞑想の仕方が書かれている。

『あなたはプラシーボ』は、最先端の神経科学、生物学、心理学、催眠療法、行動による条件づけ、量子力学などを駆使してプラシーボ効果のメカニズムの謎を解き明かし、不可能と思えることを可能にする方法を示している。」

「あなたはプラシーボ 思考を物質に変える」
https://oejbooks.com/products/placebo/

これはけっして精神論でも抽象論でもなく、博士自身の驚異的な体験にもとづく確信を、実際の学術的研究によって裏づけ、体系立て、発展させせ続けていることが実証されており、しかもジョー・ディスペンザ博士自らが指導者として、実際に多くの人々に指導して、顕著な結果を現に導き出している内容です。

著者のジョー・ディスペンザ博士は、脊椎の6個を潰すような大事故を経験し、多くの医師の勧めを断って、自らの瞑想とイメージの力によって乗り越えました。突然訪れたその極限状態の中で博士は自らの理論、つまり人の身体には奇跡的な自己治癒能力、内的叡智が存在するという持論を実践しなくてはならない状況に直面しました。そして自らその持論を実践することで、一生歩くことさえできないと言われた、何箇所も複雑骨折でバラバラになっていた脊椎を見事に修復し、健康な状態に回復したのでした。

これは現代の世界では超人的な能力としか言えませんが、いったんそれが可能なことが理解され、認知されれば、この能力は万人が利用できる能力なのだということを、彼の主宰するワークショップの参加者にも同じ奇跡が可能であることを実証することで証明して見せたのでした。

そして博士は、その理論と事例を報告するものとして、本書を著したのです。

博士は、人間はみな、当人自身が自分の中に自己治癒能力という奇跡的な力を起動させる引き金としての“思考のパワー”をもっているのだと言います。

本人がそれを自分で納得し、“知っていれば”、その「プラシーボ」はあなたの身体の中でおのずから展開すると。

博士は、私たちを説得するために、科学の用語を駆使します。

その生理学的、神経学的、後生遺伝学的言葉を駆使して、私たちにその治癒の機序をイメージさせようとします。

ディスペンザ博士は、私たちに、自分の身体という乗り物の無力な乗客ではなく、全権を有する所有者であり運転者の立場で自らの望む方向に向けてこの体の働きをコントロールできると教えてくれています。

最近の知見では、神経細胞の血族は3週間使わなければ解体が始まると言われます。ということは、自分の脳内の神経ネットワークを通過する信号を操作することができれば脳内回路を再構築できるということを意味します。

本書のタイトル『あなたはプラシーボ 思考を物質に変える』とは、私たちが日々めぐらす思考・感情・信念こそが、私たちの体内の生理現象の連鎖を生みだしているということを意味しています。

ディスペンザ博士のまわりの若い学者たちは、これを“自己操縦型神経可塑性(SDN)”と呼んでいます。

これは現在の神経生理学の最先端の知見と言えるものです。

以下「プラシーボ」という言葉を巡る日本の状況や、過去の経緯からご紹介してゆきたいと思います。

●「プラシーボ」という言葉の意味

「プラシーボ(placebo:英語)」または「プラセボ(placebo/plasebo:フランス語)」という言葉は、もともと「人を喜ばせる」という意味のラテン語「プラケーボー(placebo)」から来ています。

「ほら、これでもう大丈夫」と言って、患者を喜ばせ、安心させる行為を指す言葉だったのでしょう。

たとえば、転んで泣いている子供に、母親が「痛いの痛いの飛んでいけー!」と言って聞かせるのと同じで、ごく自然発生的な行為だったはずです。

やがて医療技術が専門化して投薬という行為が普通になると、患者は治療者に「薬」を期待するようになります。

そうなると、たとえ適当な医薬が存在しない場合でも、患者を安心させるために「お薬ですよ。これでもう大丈夫」と言って、たとえば砂糖水など与える行為がごく自然に起こったと思われます。

そして“人を喜ばす”という意味の「プラシーボ/プラセボ」も、ごく自然に「偽薬」の意味に転移したものと思われます。

そして実際、母親が「痛いの痛いの飛んでいけー!」と言うのを聞いた幼児が、その言葉からリアルに「痛み」が飛んでいく姿をイメージして、すぐに痛みのことを忘れることは、私たちが日常的に体験して知っています。

母親の言葉に全幅の信頼を置く幼児にとっては、母親が痛みは去ったと告げれば、それはただちに事実として体験されるからです。

同じように、たとえ大人であっても、「偽薬」を与えられた患者が、それによって疾患の治癒を完全に確信すれば、実際にその疾患が治癒してしまうことも頻繁に起こっています。

これが「プラシーボ効果」「プラセボ効果」と呼ばれているものです。

●日本薬学会の薬学用語解説

ここで確認しておくと、公益社団法人「日本薬学会」の薬学用語解説の「プラシーボ」の定義は以下のとおりです。

プラシーボ
 Placebo

 偽薬もしくはプラセボのこと。
 本物の薬と外見、味、重さ等では見分けがつかないが、有効成分が入っていない、
 臨床試験に使用する為の偽物の薬。
 医薬品の有効性は二重盲検対照試験で、有効成分を含む実薬群と
 有効成分を含まないプラセボ群の効果の差から判断するのが良いとされている。
 成分としては、少量ではヒトに対してほとんど薬理的影響のないブドウ糖や乳糖が
 使われる事が多い。Placeboはラテン語で、「私は喜ばせる」の意。
 
 臨床においても、薬理活性成分の含まれないプラセボを投与して、
 症状が回復する場合がある。
 特に痛みや下痢、不眠などの症状に対しては、
 偽薬にもかなりの効果があると考えられており、これには暗示のような心理的効果、
 自然治癒などが影響しているとされている。
 逆に偽薬によって、望まない副作用(有害作用)が現われることを、
 ノセボ効果 (ノシーボ効果、反偽薬効果、nocebo effect) と呼んでいる。
 
 偽薬を処方する事に対する倫理的な批判もある。

要するに、「プラシーボ(偽薬)」には

①新薬など医薬品の実際の治癒能力を臨床的に検証する使い方

②実薬の投与を減少させる目的などで臨床の場で使われる場合

の2つの使い方があり、②では実際の効果も認められている、ということです。

●日本でのプラシーボ与薬の現状

日本での実際の「プラシーボ」与薬の現状を調査した「臨床における看護師のプラシーボ与薬の実態に関する全国調査」(日本看護倫理学会誌/3巻 (2011) 1 号)というアンケート調査があります。

この調査は、全国300床以上の病院964施設で勤務する経験3年以上の看護師を対象としていました。(それ以前の調査で、臨床経験が浅い看護師はプラシーボ与薬にはほとんど関与しないことが明らかになったからです。)

調査は無記名自記式の質問紙に回答して、個人別に郵送で返信してもらうものでした。
回収率は18%となっています。

それによると回答者の86%が過去にプラシーボ与薬の経験をもっていると回答しており、常勤看護師の大多数の方がプラシーボ与薬の経験を持っていることになります。

そしてその約半数が、プラシーボ与薬は「とても効果がある」または「効果がある」と答えています。

また「プラシーボ与薬は倫理に反すると思うか」という設問に対しては、59%の方々が「反するとは思わない」と答えています。

また約60%が「プラシーボ与薬後に患者の疼痛が消失した場合、効果があれば真実を告げなくても良い」と答えています。

この調査によって、看護師の方々はプラシーボ与薬に対して道徳的な不確かさを感じてはいても、その問題を深く考えるような時間もなく、多忙な業務に埋没している実態が浮かび上がってきました。

実施経験のある看護師のうち257名(93.1%)が、与薬後の患者に「症状が軽くなった」と言われた経験を持っていたようです。

そしてプラシーボ与薬であっても患者に効果があった場合、 8 割以上の方が「効いて良かった」とし、約 6 割が「効果があれば真実を告げなくとも良い」と答えています。
しかし同時に、約半数が「患者をだまして申し訳ない」という感想をお持っています。

プラシーボ与薬後に期待した効果が得られなかった経験を持つ人は234名(78.0%)おり、その 6 割以上が「効かなくて当然だ」と捉える一方で、半数以上が「患者をだまして申し訳ない」と答えていいます。

見方によっては、この数値は、「効かなくて当然だ」と思い、「患者をだまして申し訳ない」という感情をもっている看護師によるプラシーボ与薬は「期待した結果が得られない」可能性が大きくなる、ことを示しているとも言えるでしょう。

日本ではプラシーボの研究に関しては、後で見る海外の例に比べて、かなり保守的または消極的な姿勢を保持していると言えそうです。

●プラシーボ効果の具体例

ここで、プラシーボ効果というのがどういうことを実現する可能性があるのか、その顕著な例を確認しておきたいと思います。

ここでは石田 安実氏の学術論文「プラセボ効果は心身因果関係の理解を変えるか」から引用させていただきます。

 ・1950 年代のこと、ライトという名の患者は悪性リンパ腫にかかっており、
  医師が触れて簡単にわかるほど大きな腫瘍が全身にできていた。
  その当時、ある医師グループがクレビオゼンという癌に対する新薬の化学処方を
  研究していた。
  ライトの癌はかなり進行していたが、医師は彼にも与えることにした。
  そこで奇跡が起きた。
  ライトは体重が増え、はた目にも良くなり、腫瘍そのものも急激に縮小して
  触れてもほとんど判らなくなった。
  しかし、新聞が「クレビオゼンは期待されたほどの大発見ではない」と否定的に
  報じるやいなや、ライトはすっかり意気消沈し、体重も減り、
  腫瘍はまた大きくなった。
  医師たちは、投薬に対するライトの反応には暗示の力が大きく影響していると考えた。
  そこで、医師たちはライトに、
  「前回この病院に届けられたクレビオゼンは比較的効果の弱いものだった。
   研究所は問題点を改善し、もうじきもっと強力な新薬を送ってくる」と告げた。
  そうやってライトの希望をかきたてておいて、新しい薬がついに届いたと告げ、
  ライトに注射した。
  ただし、その中身は無菌水であった。
  ただの水を注射されただけなのに、ライトは前回と同じく、劇的な回復をとげた。
  回復は続いたが、またしても新聞が
  「米国医師会は、クレビオゼンが癌にまったく効かないと報告した」と報じると、
  ライトは再び衰弱し始め、腫瘍は巨大化し、
  その後まもなく亡くなった[Brody2000:14-5]。

 出典:「プラセボ効果は心身因果関係の理解を変えるか」(石田 安実)

なんとも驚くべきプラシーボ効果です。

それにしても、米国医師会の発表はこの場合はネガティブな効果しか発揮せず、この患者さんにとっては不運なことでした。

同論文からもう一例、引用します。

・ロチェスター大学のエイダーは、
  11歳のときに重い全身性エリスマトーデスにかかった10代の少女ルースを治療していた。
  ルースはこの深刻な自己免疫疾患のせいで、発病後年後には腎臓の機能不全、
  高血圧、出血に苦しむことになった。
  医師たちは、ルースの活発すぎる免疫系の活動を抑制するため、
  すぐにもシクロホスファミドという強力な免疫抑制剤を投与する必要があると判断した。
  ただ、シクロホスファミドには強い副作用があった。
  ルースの母は心理学者で、ラットを使ったシクロホスファミドの実験を知っていた。
  その実験では、ラットはシクロホスファミドとともに、
  無害だが強い特徴を持つ物質を投与され、その後、この無害な物質だけを与えられると、
  ラットの体がシクロホスファミドを投与されたときと同じ反応を示したのである。
  ルースの母は、同じ方法でルースが投与されるシクロホスファミドの量を減らせるのではないか、
  そうすればシクロホスファミドの有害な副作用を低減できるのではないか、と考えた。
  医師たちも賛成し、シクロホスファミドと、二つの強烈な特徴を持つ物質
  ──肝油と強いバラの香水──を組み合わせることにした。
  最初の3ヶ月間、月に一度の治療のたびに、ルースは処方通りの量のシクロホスファミドと
  肝油を与えられ、そしてバラの香水をかがされた。
  その後の月1回の治療では、肝油とバラの香水はそのままだったが、薬そのものは
  3回に1回しか投与されなかった。
  1年を通してみれば、ルースはシクロホスファミドを通常の半分の量しか投与されなかった
  ことになる。しかしそれでも、治療の成果は目覚ましく、
  ルースの症状は治まったのである[Brody 2000:16-7]。

この患者の少女ルースにとっては、母親が心理学者で、しかもラットを使ったシクロホスファミドの実験を知っていたのは幸運でした。

1970年代後半、カリフォルニア大学サンフランシスコ校のジョン・リバイン医学博士が40名の患者の抜歯で鎮痛剤の代わりにプラシーボを処方した画期的な研究で、プラシーボが有効成分を持つ薬とまったく同く、エンドルフィン(体内で作られる鎮痛剤)分泌を誘発していることを証明しました。

これは被験者に起こった鎮痛効果が意識の領域だけでなく肉体にも及んでおり、患者の心身の状態を変化させていたことを証明した意味で、プラシーボ研究の節目となる出来事でした。
以後、各所でプラシーボの研究が進むことになったようです。

プラシーボが劇的な治療効果を上げた例は枚挙にいとまがないほど報告されています。むしろ医療現場ではいちいち言及する必要もないほどの常識の一部になっているのでしょう。

2014年にはイギリスのBBC放送が「The Power of the Placebo」という番組を制作放映し、この番組は日本のNHK のBS世界のドキュメンタリーで「プラシーボ ニセ薬のホントの話」として、3度ほど放映されています。

この番組の中では「アスリートがサプリメントと称した偽薬で記録を伸ばす」とか、「手術のフリだけで患者が回復する」とか、「ニセの酸素ボンベでも自由に高山を歩き回る」などの驚くべき例が紹介されています。(「実際、プラシーボ効果がさまざまな脳内化学物質を誘引することがわかってきた」と)。

さらには、「最初からプラシーボだと伝えて服用してもらう実験でも、過半数の被験者で症状が緩和。「偽薬と知っていても効果がある」という驚きの結果が得られている」ようです。

何かまったく新たな世界が開けて来つつあるような予感がします。

●ノシーボ効果とは?

「プラシーボ効果」は、実際には有効成分が入っていない偽物の薬を投与することで、患者さんに望ましい変化が起こることを言いますが、逆に偽薬が投与された患者さんに、望ましくない副作用(有害作用)が現われる場合があります。

このような偽薬の効果を、「ノシーボ効果 (ノセボ効果、反偽薬効果、nocebo effect)」と呼びます。

たとえば、患者さんが薬物は毒だと信じ込んでいる場合、たとえ与えられたのが薬理成分を含まない偽薬であっても、当人が望まない副作用が起こってしまうことがあります。

当人が副作用があると信じ込むことによって、その副作用がより強く出現するのではないかと言われています。

それとは別に、薬理成分を含む薬剤の投与を継続していても、患者さんが「投与されていない」とか、あるいは「この薬は効かない」と思い込むことによって薬剤の効果がなくなるケースも、「ノシーボ効果」に分類されることがあるようです。

「プラシーボ効果」にせよ「ノシーボ効果」にせよ、治験のような実験的な状況では、従来から幅広く観察されている現象です。

どちらの場合も薬理成分を含まない偽薬の投与によって起こる変化なので、その効果はその偽薬自体が持っている効果ではなく、与薬された個々の患者さんの信念や思い込みに由来すると考えられているのも理解できます。

ただし臨床病棟では、「プラシーボ効果」や「ノシーボ効果」が関与すると考えられる場合でも、個々の患者さんによって治療に対する反応は異なるため、個々の患者が経験する症状の違いの大きさや影響の度合いを判定することは難しいとされているようです。

「プラシーボ効果」や「ノシーボ効果」は、日常診療でも、臨床試験でも、インフォームド・コンセント(病状や治療について患者・家族、医療職、ソーシャルワーカーやケアマネジャーなど関係者と互いに情報共有し、関係者全員で合意するプロセス)の過程でも、公衆衛生キャンペーンでも、幅広い場面で起こる可能性があると考えられているようです。

米国メリーランド大学のLuana Colloca准教授など、プラシーボ効果を高めてノシーボ効果を抑制する戦略を取るのが有用であると報告している研究者も現れてきています。

「プラシーボ効果」とか「ノシーボ効果」とは、患者がもっている情報・思考・考え方・思い込み・価値観などが、当人の病状を治癒方向や増悪方向に変化させるパワーをもっているということです。

もしそれが現実なら、絶えず健康を脅かすものに注意を喚起するような情報が横溢する社会に潜在している「ノシーボ効果」は、想像を絶するものがあるかもしれません。

●「プラセボ効果」から「プラセボ反応」へ

「プラセボ効果」という現象自体が医学的関心の対象となったのは、それほど昔のことではないようです。

以下、石田安実氏の学術論文「プラセボ効果は心身因果関係の理解を変えるか」に依拠してそのあたりの経緯をご紹介します。

「プラセボ効果」関する最初の調査結果は、1955年ハーバード大学関連病院の麻酔医ビーチャー(Henry K. Beecher)という方が発表したもので、そこでは1082 人中の35%にその効果が現れたとされています。

この結果はけっして高い率とは言えず、あえて「プラセボ効果」として唱えて、それを支持するに足るほどの十分な証拠とを言えない、と当時何人かの論者によって批判されたようです。

そのため当時は、なぜこうした効果が現れるのかについて、医学的生理学的な説明を研究する機運が始まるには至りませんでした。

ちなみに、このビーチャー(Henry K. Beecher)は、1966年にNew England Journal of Medicine誌上で「倫理と臨床研究」という論文を発表して、人に対する非倫理的な研究を告発しています。この論文が契機となって世界で初めてアメリカに研究倫理審査委員会が設置されるに至る機運が生まれました。

当時アメリカの国立補完代替医療センター(NCCAM)は、プラセボ効果を次のように解釈しています。「たとえば錠剤、飲み薬、注射などの医療的介入が助けになるだろうという人の期待(予想)から生じる、健康への有益な結果……」。
つまり、「プラシーボ効果」というのが、その偽薬自体がもっている効果能力ではなく、【人の期待(予想)から生じる、健康への有益な結果】と定義されているわけです。

私たちは一人ひとり異なる感受性をもっています。同じ思考や暗示、指示を聞いても、聞いた人はそれぞれが自分の連想や現実に落とし込んで受け止めるわけで、結果として起こる反応も各人で異なるはずです。

日本でも翻訳書『癒やす心、治る力』が紹介されている、代替医療の中心的論者アンドルー・ワイルは、「好結果はニセ薬の効果ではなく、それを服用した患者の反応である。正しくは『プラセボ反応』と呼ばれるべきである」と述べています。

プラシーボの与薬による患者の状態の改善は、投薬された個々の患者の受け入れ状態や期待によって異なるわけですから、たしかに、「プラシーボ効果」というよりは、「プラシーボ反応」と言う方が適切だと思われます。

●寺山心一翁氏のがん治癒とフィンドホーン

最近は「がん」は治る病気だという認識が広がりつつあるようですが、昭和のころは「がん」といえば死の宣告と同じようなものでした。

「がん」の治療法としては昔から「外科手術」「化学療法」「放射線療法」などがありましたが、日本では1984年に「対がん10ヵ年総合戦略」が始まったあたりから急速にがん治療への取り組みが強化され、2010年代までに、がんの治療成績は急激に上がったようです。

治療法も、従来からの「外科手術」「化学療法」「放射線療法」の他に、「血管内治療」「光免疫療法」「免疫療法」「臍帯血」「骨髄移植」「緩和ケア」「痛みのコントロール」「カンナビノイド療法」「温熱療法(ハイパーサーミア)」「がんワクチン」「がんの心理療法(精神面・心理面のサポート)」「代替薬」「ウイルス療法」「補完代替医療」などと、急速にその裾野を広げています。

このようなガンの治療法の大きな変化の流れの中のひとつに、患者の立場でガン治療に深い関心を寄せていた一部の方々に強烈な印象を与えたのは寺山心一翁という方のメッセージでした。

寺山さんは1984年8月「右腎腫瘍」という診断を下されます。
そしてその年の12月4日に右腎臓の摘出手術を受けるのです。
ただしそれはがんの手術ではなく、(良性)腫瘍の手術だと本人には知らされていました。
しかし、自分の体調の自覚や医者の診断書の要らないがん保険を断られたことなどから状況を理解した彼は、奥さんに「僕のこのガン、きっと治ると思うよ」と言います。

寺山さんは当時、企業へのコンピュータ導入の一切を指導する起業コンサルタントで、仕事は多忙をきわめ、顧客企業が増えるにつれて無理に無理を重ねるようになり、身体からのさまざまな信号を無視して、ついにここまで大きくしてしまった不調でした。

何度もの血便を無視した結果、普通ならもう死ぬしかないという状況になってはじめて、彼はいまそのことに深く気づいたのです。
自分ががんを創ったとしか言えないことを彼は知っていました。
だから寺山さんは【がんは「我が子」なので、それを愛さなければならない】と気づいたというのです。

彼が発信したのは「がんを愛することで、がんが治った」というメッセージでした。

寺山さんの『がんが消えた ある自然治癒の記録』は、その後も現れるたくさんの自然治癒の記録のさきがけとなる本でした。

この本にメッセージを寄せられているアンドルー・ワイル博士とのご縁も関係して、寺山さんは病がかなり改善したところで、スコットランドのフィンドホーンから講師として招待されます。

フィンドホーンの創始者たちの場合は、大地の精霊たちに話しかけると、精霊たちがその呼びかけに応えて、それまで砂漠のようだった大地から美しい花園が姿を現したのです。
変化が起こった領域はフィンドホーンの創始者たちの周囲の空間でした。
寺山さんの場合は、自分の身体のがん細胞に感謝と愛を語りかけたことで、それに応えてその細胞たちが正常化してくれたわけです。変化が起こったのは肉体の領域でした。

両方とも、これまで意識をもつなどとは想像もされていなかった対象を、自分と同等の意識存在として認め、その相手に感謝と愛を向けたことで、驚くべき奇跡が起こったのでした。

フィンドホーンの場合は大地の精霊を意識存在と認めて感謝を捧げることで、寺山さんの場合は自分の体内のがん細胞を意識存在と認めて感謝を捧げることで、それぞれ周囲の大地と、体内のがん細胞がその感謝の波動を受けてそれに応じ、蘇生し、正常化してくれたのです。

このふたつは、これまで地球人類の価値観にかけられた一種の魔法が解けはじめた象徴的出来事だったのかもしれません。

自分の考え方・思い方ひとつで、自分に起こってくる現実が変化することを地球人類は知り始めたのです。

寺山さんの場合は、自分の“思い込み”(=思い方、思考波動)が当人の身体に奇跡的な治癒反応を引き起こすという「プラシーボ反応」の顕著な一例といえますし、フィンドホーンの場合は、人間の思考エネルギー(特に感謝の波動)が、周辺の自然環境に驚異的な蘇生効果を及ぼした顕著な例といえるでしょう。

●何が病気を治しているのか?

伝統的な西洋医学では、病気は大部分外的要因によって起こるものと捉えられます。そしてその外的要因を取り除くことで病気を治療しようとするのです。このような療法を、対症療法とか逆症療法と呼びます。

この従来からの逆症療法的概念では、病気は「先天的な遺伝的素因」「先天的要因子(宮内での過ごし方)」「外傷感染症」「腫瘍」「変性疾患」「循環障害」「血液学的障害」「情動」「免疫学的障害」などの結果として起こると考えられています。

しかし上記のような“病気の原因”は、あまりにも最終的な身体的機能不全の形態に偏った現象的分類にすぎない、と見るホーリスティック医療の観点も早くから存在していました。

ホーリスティック医療自体は5000年以上前から存在すると言われ、インドのアーユルベーダや中国伝統医療も3000年以上の歴史があります。

私たち現代人の価値判断基準は基本的に経済観念にもとづいており、所得高や世俗的な権力などに評価基準が偏る傾向があります。

このような価値評価システムが私たちの生活を変質させた結果、じつに多種多様な流行病が蔓延することになりました。ウィルスと手を組んだ流行病も多く、また麻薬中毒やアルコール中毒といった純粋に感情的で精神的な流行病もあります。

そういう環境のなかでは、たとえば、人生の意味の喪失、悲嘆、罪悪感、憎悪、自尊心や個人の尊厳の喪失、恐怖、などといった、生命体が陥っている真の危機の正体を正面から取り上げる機運はなかなか立ち上がってきませんでした。

前世紀の後半からここ数十年来、病気の原因は個人の生活に内在するストレスに関連していると多くの専門家が指摘してきました。

「ストレス」という概念は1930年代ハンス・セリエ博士が提唱したストレス学説から始まります。

「ストレス(英: stress)とは、生活上のプレッシャーおよび、それを感じたときの感覚」と定義されています。

ストレスとさまざまな障害との関係を大局的に概観したとき、ストレスを軽減する方法を見つけることは健康維持に役立つと、ハーバード大学医学部などは主張しているようです。

私たちは生命体がもっている自然な叡智を信頼することを教えられておらず、たえず全体の流れに逆らい、頑張り、苦闘し、戦って、成功・勝利・健康・富、といったものを勝ち取らなければならないものと、教えられています。

ところが身体は私たち人間の想像も及ばない叡智のレベルで、絶えずその自然治癒力を実現しているようです。

私たちの全身には300兆個もの細胞があり、そのうち毎秒1000万個ほどが死んで新しい細胞と入れ替わっていると聞けば、それらの細胞秩序を正常に保つための制御機能がどれほどのものなのかが推測されます。

統合医療の代表的提唱者のひとりであるアンドルー・ワイル博士は、その著『癒やす心、治す力』の「DNAの自己治癒システム」という項で、自然治癒力とよばれているものがどういうものか、それがどれほど膨大な仕事をしているのかを、つぎのような喚起力豊かな文章で説明しています。

では DNA が紫外線に損傷を被った私の頭皮細胞に何が起こるのだろうか?
 ひじょうに高い確率で、ほとんど即座に、エンドヌクレアーゼがその損傷を認識し、
 損傷した側の連鎖を切断する。
 すると、エキソヌクレアーゼが損傷部員の両端を切断する。
 つぎに、ポリメラーゼ I がその隙間を無傷のヌクレオチドで埋め、
 最後に DNAリガーゼ酵素が切断されている両端を結びつける。
 ひじょうに精巧な、分子版の切り貼り細工である。
 複製作業のときに、たとえポリメラーゼ I がたまたま、
 間違ったヌクレオチドを分子連鎖に組み込んでしまっても、
 その酵素はエラーを認識し、エラー部分を切除し、正しい配列に戻すことができる。
 したがって、ポリメラーゼ I は事実上、自分のタイプ原稿を校正し、誤りを校訂して、
 DNA の新しいコピーを合成するための指示をしているということができる。
 『癒やす心、治す力』(p110-111)

毎秒1000万個ほども新陳代謝している全身の細胞を走査して、そこで発生した異変に対処して修復・正常化のための自己治癒機能を、肉体は一瞬の休みもなく遂行しながら、つねにわれわれの顕在意識にシグナルを出してくれているわけです。

どうやら実際は、身体を癒やしているのは身体自身であり、その自己治癒能力であることを私たちは理解し始めているようです。

●「プラシーボ効果」とは本当は何なのか?

“プラシーボ効果”というものに新たな科学的関心が向けるきっかけを作ったのはハーバード出身のアメリカ人外科医ヘンリー・ビーチャーですが、彼がそういう関心をもったのには、第二次世界大戦中に軍医として治療にあたっていたときの経験がありました。

大戦が終盤に近づいていた時期のこと、彼が野戦病院で重症を負って運び込まれた兵士の外科手術を行おうとしたとき、モルヒネが切れていたのです。
しかしその患者の状態では、麻酔無しで手術をすると心臓血管性ショックで死んでしまう可能性がありました。

英語には「Desperate times, desperate measures.(非常時には非常手段を使え)」という言葉があるようです。
そのとき間髪入れずに看護師が生理食塩水を注射器に満たし、あたかもモルヒネを打つかのように、兵士に打ったのだそうです。
兵士はすぐに穏やかになり、ビーチャー医師は無事手術を終えることができました。

そういう戦地での体験が、彼の心のなかで何かの引き金を引いたのでしょう。
外科医ヘンリー・ビーチャーは、帰国してハーバード大学に戻ると医学部の麻酔科医になます。
そして1955年、アメリカ医学界で最も権威のある学会誌「米国医師会ジャーナル」に『The Powerful Placebo』という論文を発表します。
その論文で彼は、プラシーボ効果とは単なる心理的な効果を超えた存在だと論じて、歴史に名を残すことになるわけです。

ただし、この論文でヘンリー・ビーチャーが示したプラシーボ効果は1082人中の35%だったようです。
この率は見方によってはけっして高くはないので、“プラシーボ効果”とわざわざ謳うほどの充分な立証性とは言えないと批判する学者たちもいて、当時ただちに“プラシーボ効果”を本格的に研究しはじめる機運を生むにはいたりませんでした。

しかしその後、“プラシーボ効果”に関する研究にいくつかのエポックメイキングな展開が起こります。

2006年カナダで行われた研究で、思い込みや認識が標準テストの成績に心理的影響を及ぼすことがわかったり、先入観の植えつけが連想の呼び水となっていることが調査結果で証明されたり、2010年のハーバード大学テッド・カプチャック博士の予備テストでは、被験者がプラシーボだとわかっていても効果があることまて判明したりするのです。

この調査の場合は、被験者たちは本当の薬を飲んでいないと重々承知の上で、プラシーボが症状改善に奏功するかもしれないという説明を聞いただけなのですが、彼らはそれでよくなる可能性があることを知ったために、実際彼らの体はその思い込みの影響を受けたのです。

一方それらの研究と並行して、患者の物事の捉え方や、認識、信念の影響も調査されます。
トレド大学の近年の楽観主義者と悲観主義者の研究などは、思考だけで人の認識や経験を決定づけることができることを最も端的に示したものと評価されています。

当人の考え方がその人の人生に起こる現実に広範な影響を及ぼす……。
このことは人生体験の中で私たちが何となく感じることであり、想像するのが難しいことではありません。
しかしその影響の程度は、どうやら私たちの想像をはるかに超えており、しかも客観的エビデンスをともなって証明されはじめているようです。

現代の医療で治癒したケースの、どれくらいがプラシーボ効果によるのか、それを具体的な数値で証明している研究は、もちろんまだ存在しません。

上述のように1955年のビーチャーの論文では35%でしたが、最近の調査では10~100%の間で論議されています。

ごく最近の心理学研究によると、私たちが日々巡らす思考の70%がネガティブで同じことばかり繰り返し考えていると言われています。もしこれが正しいとするなら、無意識のノシーボ効果により発病、発症している割合は、恐らく私たちの想像はるかに超える規模になることが考えられます。

「プラシーボ効果」「ノシーボ効果」という姿で現れてきた事象は、何かとてつもなく大きな何かの“尻尾”のようなものかもしれません。

●人間という生命現象の量子力学的イメージ

イエスは「人はパンのみにて生くるにあらず」と言ったと伝えられています。

人間の身体が食料で養われている以上、もちろん生きるために食べ物はとても重要です。
しかし食料さえ与えておけば人は健康で豊かに生きられるのかとなれば、それはきわめて疑わしい。

なぜなら、最近の量子力学的イメージでは、人間の身体を統御している自律神経系というのは次のようなイメージのものであるらしいからです。

 量子場とは、目に見えない情報の場であり、
 すべての物質が属する時間空間を超えた周波数域であり、
 意識とエネルギーで構成されている。
 その結果、宇宙にあるすべての物質はその中に統合され、量子場とつながっている。
 そして万物は原子でできている(原子は時空を超えてつながり合っている)ので、
 宇宙に存在するあなたも私も含め、万物がこの叡智の場につながっている。
 個人的・普遍的叡智の場とはどちらも私たちの中に、そして周りに存在し、
 万物に生命、情報、エネルギー、意識を提供している。
 これをどう呼ぶかはあなたの自由だが、これが今この瞬間にも、
 あなたに生命を届けている普遍的叡智だ。
 それは、あなたの自律神経系の一部である、何十万に及ぶ“ 音符”が集まり、
 ハーモニーを奏でるオーケストラをまとめ、指揮している。
 この叡智が、あなたの心臓を毎日十万一千回もリズミカルに拍動させ、
 毎分2ガロン(約8リットル)以上の血液を送り出し、
 二十四時間に6万マイル(約9万7千キロメーター)の距離を循環している。
 今この文章を読み終える間にも、あなたの体は25兆個の細胞を作っている。
 そしてあなたの体を構成する細胞は、70兆個ごとに、
 毎秒10万~6兆種類に及ぶ機能を遂行している。
 あなたは一日に200万リットルの空気を取り込み、ひと息吸うたびに、
 その空気はほんの数秒のうちに体内のすべての細胞に行き渡る。
 
 『あなたはプラシーボ』(p313-314)

 
このような説明を聞けば、身体にパン(食料)を与えるということは、単に身体に燃料を供給することにすぎず、その燃料も含めてそこですべての機能を統御している普遍的叡智の存在なしには、人間を含めたすべての生命現象など成り立たないことは、自明だと思われてきます。

私たち個々人を含む地球人類も、またその気の遠くなりそうな膨大な宇宙的生命現象の中のごく小さな部分を演じているにすぎません。

この身体を使って生きるという体験をしている存在、たとえば古来「魂」などと呼ばれてきた現象は、そのような膨大な生命現象の中の一つの単位なのかもしれません。

そのような「魂」とか「霊体」とか呼ばれてきた何かが正当な存在として認知されたい、認められたいと望んでいるのかもしれません。

その身体の“乗り手”が健康で喜んでいること、生きる意欲にあふれていることが大事なのだと、その意識体が出している波動(思考エネルギー)が最終的に肉体の健康として現れているのだと知ってほしくて。

これまで宗教的あるいは詩的な言葉でしか表現されてこなかった人間の霊的本質が、心理的、感情的な言葉の障壁を突破して、全現象がそこから流れ出る根源的な力として認められたいと要求しているのかもしれません。

●エピジェネティクス(後成遺伝学)とは?

「エピジェネティクス」という言葉を聞いたことがありますか?

普通あまり耳にしない専門用語だと思いますが、この「エピジェネティクス(英語: epigenetics)」は日本語では「後成遺伝学」と翻訳されます。

 エピジェネティクス(英語: epigenetics)とは、
 一般的には「DNA塩基配列の変化を伴わない細胞分裂後も継承される
 遺伝子発現あるいは細胞表現型の変化を研究する学問領域」である。
 ただし、歴史的な用法や研究者による定義の違いもあり、
 その内容は必ずしも一致したものではない。
 
 出典:ウィキペディア/エピジェネティクス

 
これだけではまるで雲をつかむような話ですが、要するに、こういうことのようです。

私たちは一般的に、自分の肉体的特徴(個性)は両親から受け継いだDNAによって決められている、という一種の運命論的観点を受け容れていると思います。

で、この遺伝的特徴の発現(遺伝形質の発現)については、「セントラルドグマ説」という学者のあいだで広く認められた定説があるります。

それはDNAに記録されている遺伝情報は【DNA複製→RNA転写→タンパク質への翻訳→形質発現】という経路を通って、実際の肉体的個性(表現型)として実現するという定説です。

つまり、このセントラルドグマでは、もし「形質の変化」(遺伝的特徴の変化)というものがありうるとすれば、それは「記録媒体であるDNA塩基配列の変化が原因」となっている「遺伝情報の変化」しかない、と考えるわけです。

要するに、記録媒体上の【DNA塩基配列が変化しないかぎり、遺伝的特徴の変化はありえない】という考え方です。

ところが実際には、先天的には同じ遺伝情報、つまり同じゲノム(DNA塩基配列)なのに、細胞レベルあるいは個体レベルの形質の表現型が異なる実例は、けっしてまれではなく発生するようなのです。

私たちが一番身近に知っている例は、一卵性双生児の場合です。
これは明らかに遺伝形質は同じはずなのに、見た目も振る舞いもかなり異なる双子というのは、実際に多く存在しています。

それから日本中に広がっているいちばん華やかな日本の桜「ソメイヨシノ」が、すべてひとつの同じ木からの挿し木で広がっていることはご存じの方も多いと思います。

こういう例は、これまでは「細胞レベルではシグナル伝達による細胞間の応答反応、個体レベルでは環境と遺伝の相互作用」というふうに説明されてきました。

でも実際に、細胞がどのように経歴を「記憶」するのか、個体間の表現型の差がどのように生じるかは、現段階では、遺伝子機能の面からは明らかにされていないようです。

「エピジェネティクス」とは、1942年英国の生物学者コンラッド・H・ウォディントンが、「遺伝子が表現型を作るために周辺環境とどのように相互作用するのか」を研究するために造った用語です。

そののち、エピジェネティクスは、DNA塩基配列の変化を伴わない後天的な遺伝子制御の変化を主な対象とした研究分野を、広く意味するようになります。

そして各種生物のゲノムの解読が進んだ2000年代以降、エピジェネティクス研究は、新たなビジネスチャンスとして製薬業界の熱い視線も引き寄せるようになり、多くの研究者を呼び寄せる魅力的な研究領域になるのです。

ところで、J.ワトソン、F.クリックがDNAの二重らせん構造を明らかにしたのは1953年のことですから、ウォディントンが造語した1942年当時は、物質的な遺伝子の本体と遺伝におけるDNAの役割は知られていませんでした。

ウォディントンは、エピジェネティクスと言う語を「後成説 (epigenesis)」と「遺伝学 (genetics)」 の【かばん語】として造語したと言われます。「後成説」というのは受精卵から生物の形ができることを説明する古い学説の一つです。(「かばん語」とは語の一部分同士を組み合わせた言葉で、“smoke”(煙)+“fog”(霧)→“smog”(スモッグ)などの語がそれに当たります。)

「epigenetics」という語形上からいえば、エピジェネティクスは「エピ(ギリシア語: 越えた, 上の, 外の)」「ジェネティクス(英語: genetics 遺伝学)」との合成と見ることもできます。

もしその意味にとるなら、個性発現の上でジェネティクス(遺伝学)の上に立つもの、メタ遺伝学のような意味にもなりえるのかもしれません。

遺伝子をONにするとか、OFFにするという言葉を耳にしたことがあると思います。
ゲノム解析の結果「既知の遺伝子と相同性が見られない」非コードDNAは、DNA全体の98%にも及ぶようなのですが、以前は役立たずであると考えられていて“ジャンクDNA”と呼ばれていました。

ところが近年、タンパク質コードを構成しないこの非コードDNA領域には、遺伝子の発現、DNA複製の開始、遺伝子増幅や改変を引き起こす組換え機能、DNA脆弱部位、染色体凝縮、染色体分配など、染色体上で起こるすべてのイベントを制御、維持する機能を担っているらしいとわかってきてから、逆に遺伝学のホットスポットになりつつあります。

2019年には、ハーバード大学の研究者によって、無腸動物類の非コードDNAが、初期増殖応答(EGR)のスイッチとなる「マスターコントロール遺伝子」の発動を制御していることが発見されました。
ある意味で、全身の再生を司る遺伝子を制御するスイッチが発見されたとも言えるのだとか。

また「メタゲノム(Metagenome)」とも呼称される「メタゲノミクス(英:Metagenomics)」という研究分野もあるそうです。これは環境サンプルから直接回収されたゲノムDNAを扱う微生物学・ウイルス学の研究分野です。

DNAのゲノム解析コストは年々安価になってきているため、このメタゲノム解析のような、環境中に埋没する膨大な数の未知の細菌、未知の遺伝子を解明できる手法を使って、より大規模で詳細なメタゲノム解析研究が行われる可能性がでてきました。

まさにこれから人間がもっているDNAのなかで、タンパク質コードとなっていない98%のDNAを解明して、すでに存在する潜在的可能性のすべてが展開するような時代が近づきつつあるのかもしれませんね。