OSHOの講話の背景

 OSHOの講話のなかにはいろんなドラマ、いろんな意図がその背後に隠れていることがあります。

 今回マニーシャが書いてくれていることは、OSHOの講話とマニーシャに起こったできごとのドラマの舞台裏を解き明かしてくれています。
 
 そのドラマの舞台裏を解き明かされることで、OSHOの講話をどのように受け取って聴くことが、自分の役に立つのかということがわかってきます。

 OSHOは「私がある人に対して言うことは何であれ、ここにいる全員が内側を見てそれが自分にも当てはまるかどうかを顧みなければならない……」と語っています。

 そうすることで、同じ傾向、同じ無意識のフィーリング、嫉妬・欲望、野心などのマインドが明らかになってきます。

 まず自分が無意識から目覚めるためには、それらのことが無意識の中にあるということに気づくことが第一歩です。

 目覚めるためには、自分が眠っているのだということに気づく必要があります。

 それらの無意識に気づくことができれば、無意識に自分を操っている無意識的な条件付けにコントロールされなくてもよくなっていきます。

 マニーシャは書いています。

 ”深刻なマニーシャ”が打たれて数週間後、私は再び講話に出られなくなるーー今度は偏頭痛が原因だった。

通常私の代役を勤めるサニヤシン、ビマールがいるにもかかわらず、OSHOはその晩も、彼ではなくアナンドを指名する。

 私か気づいているかぎりでは、もう代役を彼女が務めることに対して抵抗がなくなっていたので、今度は彼が何をするつもりなのかわからなかった。
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 前回と変わって、OSHOは講話をアナンドに向けてではなく「アナンド方、マニーシャヘ」と、私に向けて話した。

 これは明らかにアナンドを刺激したと、OSHOはのちの講話で語った。

 さらにこの講話中、OSHOは私を引き合いに出して、「ラーマクリシュナにとってのヴィヴェーカナンダよりも、ソクラテスにとってのプラトンよりも優れた記録者」に彼は恵まれていると言い、また「私たち全員が地上から姿を消したあとも、マニーシヤの編集した本は何世紀にもわたって残るだろう」などと言う。

 これもアナンドを刺激したとOSHOは言った。「彼女は明らかに、マニーシャが賞賛を受けたと思ったーー微妙な嫉妬と女性的なマインドーー私はそれが露になるのを望んでいた

 OSHOが、アナンドの私に対する嫉妬について話をしたあと、偏頭痛もおさまり講話に再び出席するようになると、私はOSHOへの質問の中で、自分には嫉妬心があり、お気に入りの弟子になりたいという欲望を持っていることを認める。

 OSHOはそれに答えて「私がある人に対して言うことは何であれ、ここにいる全員が内側を見てそれが自分にも当てはまるかどうかを顧みなければならない……

 私がアナッドについて言ったことは単なる象徴だ……おそらく同じ傾向、同じ無意識のフィーリング、嫉妬・欲望、野心が、あなたがたの中に隠れている。

 光明を得るまでは、あなたがた全員が、この野蛮なマインドを持っている。アナンドも例外ではない。

 そしてマニーシャあなたもまた例外ではありえない。そしてそれは完璧にオーケーだ

 彼の努力は、私たちにマインドの中に抑圧されているすべてを気づかせることに向けられているとOSHOは言う。

 いったん気づけば、私たちがすべきことはもう何もないーーその善し悪しを判断せず、ただ気づいていることだけだ。」

和尚との至高の瞬間

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