瞑想がダイエットの役にたつ

瞑想っていうと、何もしないことのように思われています。

そして、何の役にも立たない、と。

確かに、瞑想って何もしないことなんですよね。

でも、その何もしないことの価値に気づいている人って
どれだけいるんでしょうか?

ところで、実はこの宇宙の95%は目に見えない暗黒物質や
暗黒エネルギーでできているって知っていましたか?

これは2013年3月、欧州宇宙機関がプランクの観測結果に基づいて、
ダークマターは26.8%、ダークエネルギーは68.3%、原子は4.9%と
発表しているので、根拠のある数字なのです。

この宇宙が目に見えないものによってできているなら、
その縮図である私たちも、目に見えないものによって
できていると考えるのが自然ではないでしょうか?

人間の場合、その目に見えないものを「魂」と呼んだり「意識」と
呼んだり、様々な呼び名があります。

肉体とは魂の目に見える側面にほかならず
 魂とは肉体の目に見えない側面にほかならない
             OSHO

であれば、私たちの95%は目に見えない魂で
できているとも言えるのではないでしょうか?

目に見えない暗黒物質、暗黒エネルギーを目に見える
肉体に形にして、そこに魂が宿るのです。

その魂の進化が人間の形になっているとも言えるかもしれません。

生と死を別つものはなんでしょう?
魂が肉体に宿っているかどうかではないでしょうか?

だって、死に立ち会ったことがある人ならわかると思いますけど、
同じ肉体なのに、命が宿っていた後と前では、
明らかに、何かが違うのです。

亡骸を、魂の抜け殻、とはよく言ったものです。

OSHOは健康には肉体的側面と霊的側面があると語っています。

肉体の健康を維持するには食べ物が必要です。
そして、実は魂にも食べ物が必要なのです。

その魂にとっての食べ物とは、
くつろぎであり、休息であり、今ここにいること、
瞑想性だと、OSHOは語っています。

休息は食べ物だ。
 瞑想は魂にとっての食べ物だ。

 休息とは、沈黙、休憩、リラクゼーション、
 平穏、冷静さ、落ち着き、瞑想性だ。

 心が何にも占領されおらず、空っぽで、沈黙し、
 何をしようとも、どこへ行こうとも、
 どこへ急ごうという考えもない心の状態だ。

 ただ<今ここ>にいること。それが休息だ。
 そして<今ここ>にいることは素晴らしい滋養に満ちている。

 なぜなら、そのときあなたは深く神性と同調しているからだ。
 そのときにあなたに音楽が降り注ぐ。

 過去はもはや無い。それは死んだ。
 未来はまだ来ていない、それはまだ生まれていない。
 現在のみが在る。現在だけが生きている。

 あなたが<今ここ>にいるとき、生命はあなたの中を流れる。
 あなたが<今ここ>にいるとき、あなたは神性の中にいる。
 そしてそれが栄養だ。それが本当の食べ物だ。

 人々が食べ物に取り憑かれすぎているという問題を抱えて
 私のところに来るが、私の唯一の提案は、
 もっと瞑想的になりなさいということだ。

 食べ物について心配することはない。
 もっと愛に満ち、もっと瞑想的になりなさい。
 そうすれば問題は消える。

 愛と瞑想性に満ちあふれていたら、
 あなたは食べ物を自分に詰めこむ必要はない。

 食べ物は代用品にすぎない。
 内なる食べ物が不足しているから、
 あなたはそれを外側の食べ物で代用しようとするのだ。

 魂が飢えたときに、その代用品として食べすぎてしまう。
 魂に食事をとっていれば魂は満たされるので、外側の食べ物で
 満たそうとして、食べ過ぎることもない。
 自然とダイエットができる、とOSHOは語っています。

 食べ物が身体にとって重要なように、
 魂にとってくつろぎはまさに同じように重要なのです。

食べ物は身体に栄養を与え、  
 くつろぎは魂に栄養を与える

健康は物理的現象だけではない。
 物理現象は健康のひとつの領域、
 しかももっとも表面的な領域にすぎない。
 なぜなら基本的に肉体は、健康であろうと
 不健康であろうと、いつかは死ぬものであり、
 つかの間のものにすぎないからだ。

 本当の健康は、あなたの内側のどこかで、
 あなたの主観性のなかで、あなたの意識のなかで
 起こらなければならない。
 なぜなら意識は誕生も死も知らないからだ。
 それは永遠なのだ。

 目には見えない魂。

 目に見えないものは信じない、という人がいますが、
 それはそれでその人の人生です。

 目に見えない魂を感じるためには、
 そのための栄養を与えることも必要です。

 その魂に栄養をもたらす時間が瞑想なのです。

 今日のOSHOのメッセージ動画(9)はこちらです。

生きることだ 身体のすみずみまで動いてごらん
 それを 深い愛とともに受け入れるのだ

 ほとんど身体と恋に落ちてごらん
 それは神聖な贈り物
 神が住まうことを決めた寺院なのだ

 そうなれば 老いに対する恐怖はなくなる
 あなたは成熟していくだろう」

「あなたは死を避けている
 それに直面する必要がある

それは生におけるワークの一部
人が学ぶべきもっとも大きなレッスンの一つなのだ

気が動転する必要はない
そうしても 助けにはならない
内側に入り 直面してごらん」

「死は 生における最大の神秘だ
 生には多くの神秘があるが
 死と比較できるものは何もない

 死はクライマックス 最高潮なのだ
 人はそれを恐れる

 というのも その中で人は失われ
 溶け去るからだ

 人はエゴゆえに死を恐れる」

「死の中で、何が起こるのだろう? 
 突如として あなたの身体がなくなっていく

 突如として あなたの心(マインド)がなくなっていく
 突如として あなたは自分自身から
 あなたが自分自身だと信じている
 すべてから離れていくのを感じる」

「死はつねにそこにある
 気づいていないかもしれないが
 それはいつも あなたに突きつけられているのだ

 あなたは次の瞬間も確かではいられない
 しかし私たちは生き続け
 誰もいつか自分が死ぬとは信じていない

 死ぬのはいつも他人なのだ

それこそ 瞑想のアートのすべてだ
 できる限り内側深く 
   あなたの存在のまさに中心へと入るのだ

 自分の存在の中心においては 
   あなたは永遠だということに

 驚き 感嘆するだろう

 そこには死はない
 死など あったためしはなかった」
         OSHO