<カルマについて> その4

<カルマについて> その4

今回は、別の講話からの引用です。

Oshoは必ずと言って良いほど、
矛盾するように見えることを語っています。

それは、質問する人、状況、文脈が異なるからです。

今回は、カルマがある、という観点からの講話
からの引用をお届けします。

Oshoの言葉:

「もし信仰によって山が動かせるなら、
なぜあなたは
ご自分の体が治せないのですか?」

というOshoへの質問に対して、

Oshoは次のように答えています。

私に体はない。

「自分に体がある」という感覚は、
全く間違っている。

体は宇宙に属している。
あなたに体はない。
体はあなたのものではない。

体が病気のとき、
また健康のとき、
その面倒を見るのは宇宙だ。

そして瞑想の内にある人間は、
いつも観照者としてとどまる。
体が健康であれ、病気であれ。

健康であろうとする欲求は、
無知から生じる。

病気を避けようとする欲求もまた、
無知から生じる

この質問も、
別に新しい質問ではない。

最古の部類の質問だ。

ブッダもそう尋ねられたし、
マハヴィーラもまた尋ねられた。

かつて悟った人間がいたところ、
悟っていない人間は
つねにこのように尋ねてきた。

            Osho

悟っていない人にとって、
これはかなり理解し難い言葉です。

病気になれば治したいと思うし、
いつも健康でいたいと思います。

しかし、悟った人というのは、
そのような欲望さえもなくなり、
体との同一化もないようです。

Oshoは糖尿病や匂いに関するアレルギー(匂いに敏感)、
背骨の腰部に痛みがあるなどの持病があることが知られていました。

そこで、この質問者は
「あなたは悟った人なのに、
どうして自分の体を治せないのですか?」

と質問したわけです。

それに対する回答は、驚くべきものでした。

実はこの言葉に続け、
さらに驚くべきことを語っています。

もうひとつ理解すべきことがある。
悟った人間にとっては、
その生が最後の生になる。

だから過去のカルマすべてが、
今世で完結される。

もし苦しむべき苦悩があれば、
その苦悩は強烈になる。

普通の人間なら急ぐ必要もない。
多くの生にわたって苦しめばいい。

ところがラマナのような人間の場合、
これが最後だ。

過去からのものすべてが、
ここで完結される。

だから、すべてのものが、
全てのカルマが、強烈になる。
今生は凝縮された生となる。
         Osho

「え〜!? そんな大変なことになるんだったら、
 悟りたくない!」って思ってしまいそうな言葉です。

ラマナとは、インドの聖者として知られている
「私は誰か?」という問いで悟りを得たとされる、
ラマナ・マハリシのことです。

彼はガンで亡くなったようです。
悟りを得たラマナマハリシは、
どうしてそのガンを自分で治せなかったのか?
という質問にもなります。

その場合、その病気は、今世最後の生で、
過去からのカルマを解消するために現れたもの、
というふうにも解釈できます。

他にも興味深いことがいろいろ語られていますが、
今回はここまでにします。

ということで、
これまでは、カルマなんてない、
ということについて紹介してきましたが、

「カルマはある」
ということについて語られている言葉も紹介してみました。

カルマのシリーズはここまでとします。

えたに