愛の関係性を友情にする

関係性における理解とは
相手の女性が正しく
自分が間違っていることもある
ということを理解することだ

男性だというだけで
自分が正しいという権威と権力を
持つための保証にはならない

女性もまたそれを持っているわけではない
私たちがもう少し人間的で、
互いにもう少し友情があれば
「私の方が悪かった」と互いに言えるはずだ
いったい、あなた方は何のために争っている?

あまりにもちっぽけで些細なことだから
訊ねられても恥じ入るだけではないか
すべてが整然と収まらなければならない
という考えを捨てなさい

完壁な調和が起こるべきだ
という考えを捨てなさい
それらはけっして良いことではないからだ
すべてが整然と収まっていたら
互いに飽きてしまう

すべて調和していたら
関係性のすべての豊潤さが
失われてしまうだろう
ものごとが整然と収まっていない
のは良いことだ

そこにつねに隙間があり
何かしら探索すべきもの 渡るべきもの
架けるべき橋があるのは良いことだ

互いの相違点と個人が
それぞれ基本的に独自であることを
受け容れ 愛を一種の隷属にすることなく
友情にするなら
私たちの生涯は、互いに
相手に対する大いなる探求になり得る
ゴールド•ナゲッツ」 by Osho

愛の関係性のなかでは、お互いが相手をコントロールし、支配しようとしがちです。

あるいは、相手を自分の思うように変えようとしたりします。しかしそれは争いのもとであり、あまり成功するとは言い難いのではないでしょうか?

「人は変わらないものだ」と思った方が人生が生きやすくなるように思います。

関係性の中で喧嘩やバトルが始まるのは、大抵は、「自分は正しくて、相手が悪いのだ」と思っているところからです。あるいは、「相手を変えようとしている」ときです。

どういうわけか、愛の関係性のなかでは、相手は自分のものだと思ってしまうようです。

しかし、相手は相手、自分は自分。 相手を変えることはできないし、変えようとすればするだけ抵抗も大きくなります。 相手はユニークな存在だし、だから面白いと思うことができれば、そこに余裕が生まれます。

そこから友情が生まれます。 関係性は調和しなければならない、完璧でなければならないと思うと、関係性が窮屈になりがちです。

調和していないから面白い、完璧ではないからクリエイティブになれる可能性がある、というふうに考えることができれば、その関係性をもっと楽しめるようになります。

愛の関係性があるからといって、お互いを束縛する権利はありません。

愛があるなら、そこには自由があり、お互いの人格やユニークさを尊重することができます。

愛の関係性から友情が育っていけば、そこには新しい愛の可能性が生まれてくるように思います。 

今日はここまでにします。

えたに