愛は、ハートが本来持っている質だ


ハートとは二元性の超越だ
ハートはものごとを明確に見通す
そして愛は、ハートが本来持っている質だ
一ー 何ひとつ訓練する必要はない
しかも、この愛は相棒として
憎しみを持っていない

ゴールド•ナゲッツ」 by Osho

愛はハートが本来持っている質ならば、 ハートさえ知ることができれば、 何ひとつ訓練することなく、愛が手に入ることになりますね。 しかも、その愛は「相棒として憎しみを持っていない」というのだから安心です。

では、相棒として憎しみのある愛って、どんな愛なのでしょう?

それはマインド(頭)による愛です。 「愛憎」という言葉があるように、マインドの愛は必ずコインの裏表のように愛の裏側には憎しみが潜んでいます。

ですから、恋人との別れ話や離婚には愛憎劇が繰り返されるのですね。 それはすべてマインドからの恋であり、マインドからの愛だったからです。 マインドの本来持っている質から、二元性は避けられません。

善悪、美醜、損得、すべての物事に対する判断や評価をするマインドが本来持っている機能から、二元性は避けられないのです。 ですから愛することにおいても、愛憎の二元性は避けることができません。

しかし、ハートは二元性を超越しています。 ですからハートの愛には憎しみはないのです。 ハートには感謝があります。 たとえ別れることになっても、感謝を感じることしかできません。

愛を受け取ってもらえたことの感謝。 出会えたことの感謝。 二人で過ごした時間の感謝。 悪い酒(安い酒)と良い酒(高級な酒)の違いは二日酔いの時にわかります。

悪い酒を飲んだ時の二日酔いはホントに苦しいものです。 銘柄はあえて言いませんけど、学生時代に友達とサ0000の一番安いウィスキーを一本空けて二日酔いになった時の苦しさは今も忘れません。

マインドの愛は、そういう安っぽいウィスキーを飲むようなものです。 恋に酔っ払った後で苦しみが訪れます。 愛憎劇を繰り広げるようだったら、それはマインドの愛でしかなかったんだということになります。

どうせなら悪酔いしない愛を味わいたいものですよね。 それがハートの愛ということになります。

今日はここまでにします。

えたに