体調の不調とコンパッション

「体の不調とコンパッション」

というテーマで書いてみます。

最近は(というか、ここ数年は)
コンパッションということをテーマに、
いろいろ考えています。

コンパッションって、

どういう人のためになって、
どういうことに役立つのだろう?
それはどういうメカニズムなんだろう?

ということをいろいろ考えていて、
今回は、そのことについて少し書いてみます。

現代社会はストレス社会と言われるほどに、
さまざまなストレスにあふれています。

ストレスがうまく解消されないと
自律神経のバランスが崩れてしまいます。

その結果、免疫力や抵抗力を
低下させてしまうことになってしまいます。

すると、
風邪をひきやすくなったり、
コロナにもかかりやすくなります。

体調を崩してしまいがちになると、
体のあらゆる部分に不調がみられるようになります。

疲れ目、食欲不振、頭痛、めまい、
吐き気や微熱が続くこともあります。

動悸・息切れ、腹痛、下痢、腰痛、
肩こり、手足のしびれなどが生じたり、
生理不順や無月経になってあらわれることもあります。

このような体調不良を引き起こす
ストレスにはさまざまな原因があります。

職場や家族、親戚、近所、友人関係などの
人間関係のストレス。

仕事が多忙で、残業が多くなったり、
責任のある役職、就職・転職、借金、
転居、入学、そしてコロナによる状況などの
社会的変化に伴うストレス。

あるいは家族など近しい人の病気や死、
失恋、解雇、倒産、挫折などの精神的ストレス。

このようなストレスそのものは、
社会生活を営む以上、
避けることができないものがです。

しかし、そのようなストレスに対応するための
スキルを習得することができれば、

これらのストレスを軽減し、
解消することができるようになります。

その結果、それらのストレスが原因で
引き起こされる体調の不良なども軽減
ないし解消させることも可能となってきます。

では、
コンパッションのスキルが、
どのようにこれらのストレスの低減
ないし解消に役立つのでしょうか?

それを語る前に、

コンパッションが「スキル」だと書きましたが、
なぜコンパッションが「スキル」なのか、
疑問を持たれた方がおられるかもしれません。

今回紹介する「コンパッション」(慈悲、思いやり)とは、
宗教的なものではなく、

脳科学、心理学、神経科学、臨床医学などの
科学に基づいて実証された、
人間に内在する資質のことです。

宗教的なものも科学的なものでも
そこで言われている
コンパッションの本質そのものは
いずれにも共通しているものですが、

その質は、宗教に依存するものではなく、
本来人間に生まれながら備わっているものであることが
科学的に証明されたものであるところに違いがあります。

これらの科学によって、
コンパッションは確かに人間に内在するものでありながら、
それは強化できるものであり、
スキルとして習得できるものであることが実証されています。

そして、コンパッションを培うことを学べば、

自分自身の幸福だけでなく、
他の人の幸福はもちろんのこと、
地域や社会の幸福も実際に高められる
ということも証明されてきています。

コンパッションとは、
苦しみや悩みや困難が生じたときに、

恐怖や怒りや反発によるのではなく、
理解や忍耐や優しさを持って、

直面している苦しみなどに対応することを助ける、
科学的に検証された「スーパーパワー」なのです。

今回ご紹介する「コンパッション」のスキルは、
専門家の知恵、指導、実践によって
巧みに使いこなせるようになるものなのです。

そこで、
このような「コンパッション」のスキルが、
ストレスを低減、解消し、

体調不良の軽減や解消に、
どのように役立つかということについて、
解説していきましょう。

ちょっとここで余談なのですが、

先日、この「コンパッション育成トレーニング」
のティーチャートレーニングに参加している
数少ない日本人トーショー(市場さん)に

CCTのティーチャートレーニングってどんな感じなの?

ということをインタビューしてみました。

現在CCTを教えているコマラ・ローデから、

彼女が入学した時は、

千人ほどの応募から50人〜70人ほどしか入学が許されない
狭き門で、しかもそこでの授業は大学レベルだって
いうことを聞いていたので、

実際はどんな感じなの?

って聞いてみたのです。

大学レベルといっても、日本の大学ではなく
スタンフォード大学から派生してきている授業なので、
それなりのレベルのことが教えられていると思ったので
どういう授業内容か興味があったのです。

すると案の定、

英語の科学論文の資料をどっさり渡されて、
それについてレポートを提出したりと、
かなりのハードスケジュールだそうです。

それはともかく、
彼が話してくれたのは、

そこで教えられていることは、
科学的な裏付けということがかなり重視されていて、

脳科学をはじめとする研究や資料などを
かなりの分量提供されるし、
授業でもその講義があるとのことでした。

彼の話を聞いていて、
科学的な裏付けのもとにCCTが提供されている
ということがわかり、

やっぱりそうなんだ、

と思いうことの裏付けがとれたと同時に、

科学的であるということは、
再現性が担保されているということなので、

誰がやってもそのようになる、
ということの証拠がある、

ということの確証も得ることができました。

まさにそれが「スキル」として
提供するだけの裏付けのもとに
CCTが教えられているということなんですよね。

それが、これまで宗教的な文脈のなかで
教えられてきているコンパッションと
CCTで教えられているコンパッションとの違いです。

トーショーさんが言ってましたが、
最初CCTについて知った時は、

「コンパッション育成トレーニング」の
「育成」ってどういうこと?

っていう疑問があったそうです。

それは私も同じで、

コンパッションって、Oshoによると
「瞑想の香り」として生じるものだということなので、
そんな「育成」なんてされるもんじゃないでしょ、

って思っていたのです。

でも、何度もCCTを受けているうちに、
だんだんそのあたりの認識が深まってきました。

なるほど、こういうやり方があるのだ、
という理解に変わっていきました。

現代社会では「宗教」というだけで避けられてしまいます。

「瞑想」的アプローチと言ったとしても

本当に瞑想を実践しようと思う人は
本当に限られています。

愛と瞑想と言っても、
それは言葉だけのものになりがちです。

そんな中で「コンパッション」(慈愛)を
伝えていくためにはどのようにしていけばいいのか?

ということを考えると、
現代社会でこのようなことを
一般の人たちに伝えるとしたら、
「科学的」な方法しかありません。

それも、瞑想の道からではなく、
愛の道からコンパッションを伝えていく。

それも、キリストやスーフィーのような
宗教的な方法ではなく。

「科学的」な方法で。

そしてそれを科学的なスキルとして
伝えていくのは、まさに現代的な伝え方です。

しかもそれが現代社会では。
本当に必要とされているものだというふうに思うのです。

そのコンパッションという精神が広まらなければ、
この世界はますます滅びる方向に向かっていくだろうなと思います。

それは、ここで紹介している世界の状況を知れば、
そのように思うのではないでしょうか?

そんなかで、何かできることがあるとすれば、
このコンパッションしかないのだろうと思います。

CCTで教えているコンパッションは
マインドフルネス(瞑想)をベースとしているので、

自分がこれまでやってきていることも活かされるので、
これを伝えていくことが、今の私の役割なんだろうな
って思っています。

なんだかとりとめのない話になってきました。

すでに、かなり長くなり過ぎてしまったようなので、

今回はこれぐらいにします。

ここまで読んでくださった方がいたら、
ありがとうございます。