この世は仮想現実 自由と責任

この世は全てシュミレーションでできているのではないか?

ということが先端の物理学者の中で話題になっているようです。

っていうか、量子物理学的に考えていけば、どうやら、

その可能性が大きいらしいのです。

イーロン・マスクに至っては、この世が仮想現実でない方がおかしい
と言っています。

この世が仮想現実でない可能性は何十億分の一だろうって。

その言葉があちこちで引用されたりもしています。

でもその考えを突き詰めていくと、

では、そのシュミレーションを作ったのは誰?

ということになります。

それは神なのか?

という話になってくると、

「神は死んだ」とかいって、

神の存在を信じなくなっているこの現代において、

再びその神が復活することにもなってしまいます。

私たちが住んでいるこの現実だと思っている世界は
実は仮想世界ではないか?

ということは、だいぶ前から言われ始めていて、

そのことがマトリックスという映画で話題になりました。

でも、当時は、まだ、
それって映画の世界だよねって思われていたのですが、

最近は

最先端の物理学者をはじめ、
世界のトップクラスの頭脳を持っている人たちが言い始めています。

つまり、マインドで考える世界を突き詰めていけば、
そのようになってしまいそうです。

でもそれは、とっくの昔に仏陀が言っていたことでもあります。

この世は妄想にすぎない。

マインドが作り上げている夢の世界にすぎないんだから、

そういう夢から目覚めなさい。

ということで、
そのマインドの仮想現実から目覚める方法として、
瞑想をこの世に伝えてくれたわけです。

 

そして、その夢から覚めて、
目覚めることを「悟り」

あるいは「光明を得る」と言われています。

その光明を得る方法や、

その光明を得た世界のことをOshoが語ってくれたりするわけですが、

でも、悩み多き仮想現実の中で苦しんでいるところから、

その光明を得た世界のお話を聞くと、

どちらかといえば、そちらの方が仮想現実じゃないの?

って思えるほど素晴らしい世界に思えてしまうわけなのです。

光明の味わい
https://oejbooks.com/2015/01/20/taste-of-hope/

でもそれって、法華経の化城の例えにもあるように、
仮想現実に迷える人々を、
現実の悟りへと誘うための方便なのかもしれない、

というふうに、

マインドではいろんなふうに考えてしまいます。

ここで考えられることは、

もしこの世界がシュミレーション、
つまり、仮想世界だとすれば、

その自分が住んでいる仮想世界を
作っているのは誰かということを考えていくと、

それって、自分ではないの?

というふうにも考えられるわけです。

であれば、その仮想世界の創造者(クリエイター)は自分
ということになってしまいます。

では、その自分の現実(仮想世界)を作り出したことの
責任は誰にあるのか?

ということを考えると、
それはその世界を作った自分にあることになります。

そこで見つけたのがOshoの次の言葉です。
https://youtu.be/8C1a06S2Efs?feature=shared

それがOshoの経験だとすれば、

この仮想現実から目覚めた時、

そのシュミレーションを作っている創造主(神)は

実は自分だった。

ということに目覚めるのかもしれないですね。

悟ったと言われる人の中には、
「我は神なり」という言葉を語ったりする人もいますが、

そういうことなのかもしれません。

それはともかく、

この世はシュミレーションなのかもしれない、

という動画、面白かったので、ご紹介しておきます。

この世は全てシュミレーションである。
現実とは何か?
https://youtu.be/EwPTt1qrJuk?si=W9ZCwD3jr

これを見て、どう思いましたか?

もしよかったら、考えをお聞かせください。

今日はここまでにします。

えたに