勇敢と臆病 その2

勇敢と臆病 その2

サニヤシンであるとは
勇気を選ぶことだ。

あらゆる人間に
両方の可能性が存在する。

恐怖と勇気の。

すべてはあなたがこの二つのうち
どちらを選択するかにかかっている。

けっして恐怖を選んではいけない。
恐怖は不具にする。

麻痺させる。
復活のチャンスを与えることなく、
あなたを破壊する。

勇気もあなたを破壊するだろう。
だがその破壊は非常に創造的だ。
それはあなたに再誕生をもたらす。
           Osho

このOshoの言葉は、サニヤシンの質問に答えたか、
あるいはサニヤシン(Oshoの弟子)になるのを迷っている人の
質問に答えたものでしょう。

そこで、Oshoは、

サニヤシンであるとは
勇気を選ぶことだ。

と語っています。

当時、サニヤシンになると、赤い服を来て、Oshoの顔写真の入ったペンダント(マラと呼んでましたが)を首にかけて、毎日瞑想をする、という条件でしたので、

男が赤い服を着るって、ほとんど社会不適合になるようなことで世間にから外れるという覚悟が必要だったので、それなりの勇気が必要だったのです。

ほんとに、飛び込み台から飛び込むぐらいの気持ちでした。

でも、実は誰もがサニヤシンでありうるのです。

なぜなら、存在に自己を明け渡した人、それがここでOshoが言っている、
サニヤシンの意味だからです。

いきなり存在に明け渡すって、どういうことかわからないですよね。
Oshoはその橋渡しとして、存在してくれたのでした。

そしてOshoは今や存在そのものとなり、
その存在に明け渡すことが
ここでサニヤシンということで意味することです。

それは、誰でも、いつでも、
勇気を選びさえすれば、できることです。

勇気もあなたを破壊するだろう。
だがその破壊は非常に創造的だ。
それはあなたに再誕生をもたらす。

その勇気とは、過去を破壊する勇気でもあります。

シバは破壊の神であるとともに、
創造をもたらすのと同じですね。
その破壊は、創造的であり、再誕生をもたらすものです。

それは、私たちが今直面している大きな変化に対しても言えることです。

そのとき、恐怖を選ぶのか、
勇気を選ぶのかが問われています。

今日はここまでにします。

えたに