「存在と悟り」シリーズ(8)

Oshoの言葉

「存在と悟り」シリーズ(8)

それは簡単な日もあれば、
難しい日もある。

もし、
あなたがネガティブな気分であれば、
それは難しい。

もしあなたが怒っていれば、
それは難しい。

もしあなたが愛しているなら、
もっと簡単だ。

早朝は簡単だが、
夕方にはもっと難しい。

山で一人でいるときには、
より簡単だが、

世間の中だと、もっと難しい。
だから、だんだん、だんだん
近づいて行きはじめる。

しかしそれでも、
努力は必要とされる。

そして第三のことが起こる。

あなたがそれを、いつでも
見つけることができるようになれば、

自分が望べばいつでも、
一瞬たりとも失うことなく、
すぐにそれを見つけることが
できるようになったら、

そうすれば第三のことが起こる。

それは自然な質になる。
それを私はサマディと呼ぶ。
       Osho

さとりとは、存在とともにいる体験です。

存在とともにいるのはどのようにすればよいのか?

瞑想は、その存在とともにいる方法です。

存在に出会った人たちが、
その存在に出会った経験をもとに
その道筋を方法としたものです。

瞑想をしていても、すぐに瞑想が深く入る場合となかなか瞑想に入れない時があります。

ネガティブな気分でいる時や怒っている時は存在とは遥かに離れ、マインドにいる時です。

愛している時には、ハートにいるので、存在と触れ合うことは容易になります。

早朝の寝起きには、まだマインドは働いておらず、存在の近くにいます。

眠りは、ある意味で存在に触れ合っている時間です。

眠りと瞑想の違いは、そこに気づきがあるかどうかです。

深い眠りは、存在の中にくつろいでいる状態です。

ただ、そこには気づきがありません。

眠りから目覚め、意識が戻ってきた時間は、

その存在とともにいることを味わうにはいい時間です。

夕方は、マインドとともに1日を過ごした後なので、

存在に気づくことが難しくなりますが、
瞑想することは、存在に戻り、
自分自身に戻るにはいい方法です。

一人でいる時の方が、自分自身でいることはより簡単になります。

自分が存在とともにいることがより容易になるのはどういう時か、

存在と共いることが難しいのはどういう時か?

そういうことが、ヒントとして語られています。

自分が存在とともにいるためには、どうすればいいのか?ということがわかりますね。

そして、努力もなく、いつもその存在とともにいることができるようになった時、

それがサマーディ、悟りの状態だ、

とOshoは定義しています。

 

今日はここまでとします。

えたに

さとりについては、ここまでとします。

今日はここまでとします。

えたに