<カルマについて> その3

 

Oshoの言葉

<カルマについて> その3

本当に宗教的な人は、
自分の不幸を
言い訳にするのをやめる人だ。

「私には責任がある」
「これは私の選択だ、
私は自分の人生をこのように選んだ」

「私の自由はそこにある。
なんであれ自分の
欲しいものを選ぶ自由は

常にそこにある。
私は不幸を選ぶことも、
至福を選ぶこともできる」

と受け入れるのには勇気が必要だ

人間の魂は自由からなる。
私はあなたに自由を教える。

しかし、自由とは、
自分の人生について、
全責任を負うことだ。

その責任を
誰かのせいにするのではなく、

自分の方に背負うことだ。
      Osho

ここで語られていることは、
自分の不幸を言い訳にすることをやめる、
ということです。

要するに、不幸をカルマのせいにするのではなく、
人生の全ての責任を自分で背負う覚悟を持つということです。

自由を選ぶなら、その責任もついてくるということです。

でも、その責任を自分に引き受けるぐらいなら、
その自由を手放す方が楽だと考える人たちも多くいます。

自分で考え、自分で判断する、
というのは、労力も時間も必要になってきます。

それぐらいなら、人の言うことに従っていた方が楽だし、
なんなら、自分の人生の選択もお任せします、
という考え方です。

自分の人生で、そのどちらを選択するかです。

これは、そもそも人間には自由意志があるのか?

ものごとはすべてあらかじめ決定されているという
決定論もあるので、

哲学的にはいろいろ議論があるところではあります。

そのなかで、Oshoは

> 私はあなたに自由を教える

というわけなので、
その観点からは、
カルマという考えそのものが馬鹿げている、
という考え方になるようです。

今日はここまでにします。

えたに