Osho国際瞑想リゾートから帰ってきました

昨日の早朝、OSHO国際瞑想リゾートから帰ってきました。

 
個人的には7年ぶりの訪問で、ツアーを企画してグループを連れていったのは25年ぶりぐらいでした。
 
結局はリゾートにいる間、最初の4日間は、「死の中への体験的探求」(An Experiential Enquiry into Death) with マニーシャ&スディール にグループの人たちと一緒に参加していました。
 
その間、一切の外部との接触はできず、まさに死のプロセスの体験の中にいました。
 
もちろんブログなどは書いていられなかったわけですが、その死の体験から復活してからは、ツアー参加者の人たちのお世話を兼ねて、リゾート近くのインドの町中(まちなか)で買い物やインドのレストランを楽しみながら遊び回ったりしながら生を謳歌しました。
 
かつまたリゾートでの朝6時から7時までのダイナミック瞑想から、そのあと7時半から8時半までの1時間のOshoのサマーディでの瞑想。
 
そして夕方は4時15分から5時15分までクンダリーニ瞑想。
夜の7時から8時半まではOshoとのミーティング(大画面でOshoの講話のビデオを見ながら瞑想する)があるので、それらにも参加しながら、その合間に現実の日常生活にも忙しいという日々を後半は過ごしていました。
 
 ちなみに、サマーディ、というのはこのような部屋です。
 
  
 
今はサマーディとは呼ばれていませんが(チャンツー「荘子」という名前で呼ばれています)Oshoがボディを離れた後、遺灰が収められたところです。
 
最初はこの部屋はOshoの指示でベッドルームとして特別に設計されました。
 
ところが、Oshoが肉体を離れてからみんなが気づくことになったのですが、実はOshoはこの時すでに自分が肉体を離れることを知っていて、自分がこの世を去った後瞑想のスペースとして使うように設計されたことは、後になってわかりました。
 
Oshoはこの部屋ができた時には、それまでの自分の寝室としていた部屋を出て、この部屋にふた晩寝たのですが、すぐにもといた寝室に戻ってしまいました。
 
とても不思議な空間で、宇宙船に乗って宇宙に漂い出たような静けさがあります。
 
イタリアから取り寄せられたという白い大理石で床も壁も敷き詰められ、ガラスの外はジャングルのような木で覆われ、天井は上品かつ豪華なシャンデリアのような光が輝いています。
 
天井のシャンデアリアはディムライトになっていて、瞑想の時間になると、ゆっくりと暗くなって、静けさの中へと入っていきます。
 
ここでは針一本落ちても聞こえるほどの静寂が支配し、お腹の虫が鳴れば部屋中に響き渡るぐらいです。
 
咳を1回するだけでも、すぐに外に出るように言われてしまいます。
 
そんな静けさの中にいて、うっかり唾を飲み込もうとして気管支に入ってしまったことがあります。
 
その時の苦しさといったら、、、、
 
咳をすればつまみ出されるし、かといって咳をしないでいるには、その唾が気管支に入っていくのをこらえながら観ているしかありません。
 
しかし生理作用としては気管支に唾が入り込むと猛烈な咳込みの反射が起こってきます。
 
その反射の咳込みをこらえつつ、かつ唾がじんわりと気管支に入っていくのを感じるのは、「気管支に唾が入っていたら、どうなるだろう?」という不安まで混じってくるので、気持ちのいいものではありません。
 
静けさの中に坐るという究極の平安の中にいながら、一瞬のうちに地獄の苦しみを味わうことにもなります。
 
それはともかく、この部屋に坐っていると、濃密な静けさが手に触れられるように感じられる不思議な空間です。
 
明日からは、OSHO国際瞑想リゾートでの生活について、少し紹介していきましょう。
 
今日はここまでにします。
 
えたに