創造的に生きるには?

人生は非常に複雑な出来事のように思われます。

でも、本当に知性の高い人は、物事を非常にシンプルに見せてくれます。

なぜなら、その人は山の頂上を知っているからです。
山の頂上から人生を見下ろせば、人生とはどんなものかが一目で見渡せてしまうからです。

Oshoの目で人生を見るときは、巨人の肩に乗って人生を見渡すようなもので、物事が非常に明晰に、シンプルに理解できてしまったりします。

人生の一つ一つの物事を、それぞれ個別的に、具体的に見ていくと、物事はあらゆる可能性があって、非常に複雑な出来事になってしまいます。

しかし物事の抽象度を上げて物事を見ていくと、物事の本質を見通すことができることがあります。

Oshoは、創造的に人生を生きていくための方法を次の3行で表現してしまっています。

人は単なるエネルギーの通り道でしかない。

そのエネルギーは創造的に使うか、破壊的に使うかの二つに一つしかない。

創造的になるとは、ただ喜びのために何かをすること。

つまり、人生を創造的に生きるには、ただ喜びのために何かをして生きていくことだ、ということになります。

この世の誰も罪人ではないし、
聖人でもない。
人は単にエネルギーの通り道だ。

体内には、蓄積された多くのエネルギーがある。
このエネルギーを創造的に
使わなければならない。

だからまず、感情が湧き起こったら、
どんな形の運動でもいいから、
身体を通してそれを解き放ちなさい。

次に、創造的になるようにしなさい。
あなたがたはみな、
創造性を持ち合わせていない。

昨晩わたしは、
なぜ昔はどの村にも
靴の修繕屋がいたかについて話した。

誰かが彼の靴を履くたびに、
修繕屋は「わたしがあれをつくったんだ」
と自慢気に言うのだった。
それは芸術家としての誇りだった。

別の人は荷車の車輪をつくり、
彼もまた「あれはわたしがつくったんだ」
と自慢気に語るのだった。

近頃、あなたがたは
創造の喜びを失ってしまった――
手づくりの品はあまり残っていない。
あなたは何もつくらない。

現在の世の中のあり方では、
まもなく手づくりの品は
まったく残らなくなるだろう。

何かを創造することで得ていた
喜びは消えてしまった。

それが損なわれてしまったら、
このエネルギーすべてに何が起こるだろう?――
それは破壊的になる。

エネルギーは本来、
破壊か創造のどちらかに動かざるを得ないものだ。

創造的な生を送ることを学びなさい。

創造性とは単なる喜びのために何かをすることだ。

彫刻をしてもいいし、詩を書いたり、
歌を歌ったり、シタールを弾いてもいい――
何をするかは問題ではない。

だが仕事としてではなく、
ただ喜びのためにそれを行なうことだ。

生活の中で、単なる喜びのための何か、
仕事ではない何かをやりなさい。

すると、破壊的なエネルギーは
全て変容され、創造的になるだろう。

何をやってもいいんです。

今日は、ただ喜びのために、何かをしてくださいね。

それでは今日も素敵な1日を!

Have a nice day!

えたに