世界は一つ

世界は一つ

ONE WORLD (OSHO Meditation Minutes)

今回のOshoの言葉は、国家は何のためにあるのか?ということについて真剣に考える必要があることに改めて気付かされます。

今も、シリアなどでは何百万もの難民の人たちが国に住めなくなって、放浪し、ヨーロッパに押し寄せていて、多くの問題を引き起こしています。

内紛で国が機能しなくなって、国民が犠牲になり、他の国境を超えて彷徨い、他の国は自分の国を守ろうとして、様々な問題となっているのです。

これまでの戦争でも、国のために、多くの人々が犠牲になってきています。

日本は今でもロシア、中国、韓国とも領土問題でもめていますし、北朝鮮は核で日本を脅かし、その防衛が問題になっています。 それらは、みんな人間が勝手に決めた国境があることによって引き起こされている問題です。

民主主義の国家は、各個人のための国家であり、個人の基本的人権を守るためのものであるはずのものなので、国家は個人のために存在し、個人が国家の犠牲にされることがあってはならないはずのものです。

国家や国境線は本当に個人の役にたっているでしょうか。

国境はもともとは地球にはなかったもので、人間が勝手に決めているものでしかありません。

日本は世界の中でも最も安全に住むことができる国の一つで、平和な国なので、普段は国家などということをあまり意識しなくなってきていますが、ここでOshoが語っていることは、これまで世界で起こってきたことであり、今も世界の中で起こっている現実だということを忘れてはならないと思います。

Osho
コレクティヴ
(みんなのため 集団的な)というのは  
とても危険な言葉だ  

みんなのため という名目で  
個人が 生身の人間が 
常に犠牲にされてきた  

国家は お国のためという名目で  
個人を犠牲にしてきた  
「国」というのは
ただの言葉にすぎない  

地図の上に引かれたその線は  
地上のどこかにあるわけではない  
それは あなたのゲームにすぎない  

しかし あなたが地図の上に
ひいいたそれらの線の上で  
何百万もの人々が亡くなってきた   

生身の人々が  
本当にはありもしない線のために死んでいる  
そしてあなたは 彼らを英雄にする  
国の英雄に    

もしあなたが 
本当に自由な世界を望むなら  
みんなのためという名目で  
あまりにも多くの殺戮が行われてきた  
ということを理解すべきだ  
今こそそれをやめるべきときだ
」 

今日はここまでにします。

えたに