偽りの生き方と本物の人生

生は生きるものだ TV で見るものではない  

Live Life… Don’t Just Watch It on TV  この映像は25年以上前のものです。  

インターネットが発達している現代では、テレビはもとより、インターネットのゲームやYouTubeなどの動画でますます「見物人」としての人生を過ごす時間が多くなってしまっているのではないかと思われます。  

そういう意味では、ますます仮想世界に現実世界の人生が奪われていっていると言えるでしょう。  

なんて言いながら、昨日は今人気の映画「君の名は。」を見てきました。  

ほとんど映画を見に行かなくなった私でさえ見に行ったぐらいなので、ご覧になられたかたも多いのではないかと思います。  

アニメーション映画なので、役者が演じることさえもなく(声優は演じていましたが)、仮想世界の極致とも言えますが、真実の思いは仮想世界と現実世界をも超えて伝わる、と言えるのかもしれません。  

まずは映像がとてもリアルなのに驚きました。アニメーションでもこんなにリアルな映像で見れるのは、さすが日本のアニメーションが日本の文化として世界にも紹介されているだけのことはあります。  

そしてそのストーリーもとても良くできていて、過去と現在と未来のストーリーがからまっていて1度見ただけではよくわからないところもありましたが、印象深いものがありました。  

この映画の印象深かったところをひとことで言うと、真実の思いは過去現在未来の次元を越えて伝わるものだ、ということでしょうか。

そしてその思いは人の運命をも変えてしまう。  

瀧が三葉の手に託した思いは、名前を忘れても、時空を越えて伝わりました。  

その思いが、時空を超えて彼女を救い、彼らを結びつけることになりました。しかも、彼らはもともとは一つの魂だったということも映画では暗示されています。  

そしてその思いは過去現在未来を越えて生き続けるものなんでしょう。  

主題歌は「前前前世」。  

前世というものがあるかないかは知りませんが、そういうものがなければ説明のつかない物事というのは世の中にいっぱいあります。  

そして今、何かの縁で出会っている人たち、それはまさに、様々な糸が組み合わさって、織りあわさって今世でも出会っているのでしょう。

仏陀と出会った人たちもOsho と出会った人たちも、それは何かのそういう思いがあって出会った人たちなのかもしれない、という思うときがあります。  

それは瀧や三葉が何かを思い出そうとしたように、私にとっては、あるときどういうわけか仏陀に会いたいという思いがあって、そしてOshoと出会ったという、そういうところと相通じるところがあって、この映画は私に取ってとても印象深かいものでした。  

究極の真実を求めるということも、何か、そういう魂の求めるものを探し求める旅なんだと思います。

Osho
何百万という人々が
ただの見物人になってしまったのは  
非常に不幸なことだ  

しかも 見物されるのは役者だ  
彼らは本当の恋愛をしているのではない  
お金をもらってやっているのだ  
彼らは人々を騙す達人で  
やっていることが
本当だというふりをしているのだ  

彼らの涙は偽物で 
彼らの微笑みも偽物で  
彼らの愛も偽物で 
彼らの怒りも偽物だ  

私たちはなんという世界を
造ってしまったのだろう?
 
やり手はみんな 
お金をもらうために演じていて  
残りの行動しない人々は
観ているだけだ    

あなたは生きるためにここにいる  
あなたは踊るためにここにいる  
あなたは人生を
体験するためにここにいる    
他の人たちが
あなたの代わりにやっている  

あなたの代わりに 他人が愛し 
競技し  あらゆることをやっている  
それであなたに何が残っている?  

観ることだけだ  
死があなたから奪えるものは
もうあまりない  テレビぐらいだ    

なぜならあなたは他に
何も持っていないのだから  
これが偽りの自我だ  
それが偽りの生き方と  
ライフスタイルを生んできたのだ  

偽りのものはすべて落としなさい  
本物で 真実でありなさい  
それが第一歩だ  

本物で真実であったなら  
それがどんな美しいことか
わかるだろう

そうすれば 
彼方に向かう  
切望が生まれるだろう  

究極の真実を求めて  
最後の言葉と 
最後の体験を求めて  
その彼方には
他には何も存在しない」    

死が私たちの人生から奪うものって何でしょうか?  

し私たちが本物の人生を生きていないなら、「死が奪えるものってあまりない。テレビぐらいだ」って言われても仕方ないかもしれません。

反面、私たちは、死によっても奪われないものを求めてスピリチュアルなものごとを探求したりします。  

それが、本物で、真実であるもの、究極の真実と言われるものなのですが、そのためには、まずは偽りのものを落とすことがその第一歩ということになりますね。  

そして「君の名は」にあるように、真実の思い、究極の真実を求める思いは、時空を超えて、死ぬことなく生き続けるということです。  

ここに引用したテキストは一部なので、全文は動画をご覧ください。

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今日はここまでにします。

えたに