瞑想キャンプ

昨日から紹介し始めたこの「ディヤン・スートラ」はインドのマハバレシュワールでOshoが開催した3日間の瞑想キャンプの際に語られたものです。

当時Oshoはインド全国を遊説し、そこには数千から数万の人たちが講話を聞きに集まっていました。

そして時折、そのOshoが語る瞑想を実際に体験するための機会として、その間瞑想だけをするために開催されていたのが瞑想キャンプです。

この集まりには、すでに弟子であった人も、そしてOshoの話を聞いて好奇心でやってきた人たちもいました。

ここでのOshoの話は、その瞑想キャンプをこれから始めていくにあたって語られているので、瞑想の心得として語られています。

そして、まず最初に大切なこととして、真理への渇望ということが大切であることが強調されています。

弟子になった人たちというのは、すでにその真理への渇望を持ち、瞑想をするためにこの瞑想キャンプに集まっている人たちです。

あるいは、なぜだかわからないけれども、十分にOshoに惹きつけられ、Oshoを愛する人たちです。

そして、そこまでではないけれども、興味本位でそこに参加している人たちもいました。

その人たちに向けて、Oshoは次のように語っています。

「だが、ここに来たからといって、
あなたがこの渇きを
抱いているとは限らない。

単なる見物人として、
ここに来ているのかもしれない。
漠然とした好奇心から、
ここにいるのかもしれない

――しかし表面的な好奇心では
どんな一扉も開かないし、
ただの見物人には
何の秘密も明かされない。

生においては、
何を受け取るにも支払いをし、
多くのものを犠牲に
しなければならない。

好奇心に価値はない。
だから、好奇心は人をどこへも
連れていかないのだ。

好奇心は、あなたが瞑想へ
入っていくのを助けはしない。

必要なのは自由への
本質的な渇きであって、
好奇心ではない。

わたしは昨晩、
誰かにこんな話をした。

あなたがオアシスの近くにいて、
喉の渇きで死にかかっているとする。
渇きは強烈で、
水が手に入らなかったらすぐに
死んでしまうだろうと
思うほどの状態に達している。

そのとき誰かが、飲んだら
お前は死ぬのだという条件で
水を差し出したら

――その水の値段はあなたの命だ
――あなたは喜びすら感じながら、
この条件を呑むだろう。

死が決定的なとき、
渇きをいやしてから死んで、
どうしていけないものか?」

真理への渇き、自由への本質的な渇きというのは命と交換するだけの価値がある、という瞑想の覚悟ということの大切さをOshoはここで語っています。

「瞑想の責任は全てあなたにある」と。

この強烈な渇望と切望を
内側に携えているなら、
この途方もない圧力のもとで
内側の種子は割れ、
成長しはじめるだろう。

種子はひとりでに
芽生えることはない。
ある状態が必要だ。

その堅い外皮にひびが入り、
中の柔らかい芽が伸びるには、
強い圧力と充分なぬくもりが必要だ。

わたしたち誰もが
この堅い覆いを持っている。
そこから出たいのなら、
単なる好奇心では無理だ。
だから、このことを覚えておきなさい。

単に好奇心からここにいて、
好奇心にとらわれたままでいるなら、
あなたを助けるためには
何もできない。

また見物人としてここにいて、
孤立したままでいるなら、
あなたのためには何もできない。

だから、 
一人一人が自分の内側を見つめ、
神性への真摯な渇望を抱いているか
どうかを見定める必要がある。

誰もがこう自問しなければならない

――「わたしは真理を
知りたいのだろうか?」

神性への渇きが本物か、真理を、
沈黙を、至福を求めているかどうかを
はっきりさせなさい。

そうでなければ、ここで何をしようと
意味はないと理解することだ。

目的がなければ、
それは無意味になるだろう。
無意味な努力が実を結ばなくとも、
瞑想の責任ではない
――責任はあなたにある。

だから始めるにあたって、
自分の中に真の探求者を
探すことが必要だ。
そして、この点をはっきりさせなさい
――あなたは本当に
何を求めているのか? 
もしそうなら、
それを見出す方法はある。

私は一時期、毎年インドのプネにあるOshoのコミューンに数週間ないし数ヶ月通っていた時期がありました。

そのOshoのコミューンでは毎晩2時間のOshoの講話がなされ、一日中何らかの瞑想プログラムがあったので、いつでもそれらの瞑想に参加することができました。まさに「瞑想キャンプ」が毎日そこで開催されているようなものでした。

そしてまた西洋からの多くの最先端のセラピーやトレーニングなどのワークショップが開催されていて、世界中からの探求者のメッカとなっていました。
この「ディヤン・スートラ」はそこを訪れる人たちのための話でもありました。

あなたは本当に何を求めているのか?

これはいつも自分の胸に問う質問でもあります。

今日はここまでにします。

えたに