百年後のヴィジョンを生きる

未来は永劫に続いていく

The Future Will Go on for Eternity

<質問>
あなたのヴィジョンを聞いていると   
あなたの周りのごく少数の勇気ある人々が   
新しい人間を体験し生きるのだと
思われてなりません。  

そして大多数の人びとが   
あなたの天才的なやり方を目にして   
それを生きるようになるには   
100年はかかるように思われます。  
そうなのでしょうか?」

Osho
その通りだ  
たとえ100年後にそれが起きたとしても  
早すぎるぐらいだ  
しかし この質問は 
全く別の意味で意義深い  

問題は ヴィジョンの現実化   
新しい人間の到来  
新しい人類にあるのではない  
それは時期が来ればやってくる  
むしろ重要なのは  
それを思い描けることだ    

世界で起きた素晴らしいことは皆  
まず アイデアがあった  
ときには それが現実のものとなるには  
数百年かかった    

しかし ヴィジョンを持つ喜び  
未来への洞察を持つ喜びは 途方もない  
私とともにいる人びとは  
喜び祝うべきだ  

彼らは 腐敗した古い世界が消え失せて  
新しい新鮮な人類が 取って代わる可能性を 
目にできるのだから  
 
ただヴィジョンだけでも  
少なくともあなたを変える  

あなたを過去から 
未来へとシフトさせる    
ある意味 あなたは
新しい人間を生き始める  

まだやっては来ていないが  
あなたは新しい人間を  
ささやかながらも生き始める    
そのように生きること  
一瞬一瞬が 至福となるだろう  

そしてあなたが あなたの内側で  
新しいものが爆発し  
古いものが崩れていくのに
慣れていけば  あなたは変化している  
あなたは革命を体験している  

私の関心はあなただ  
誰が百年後に起こることなど気にする?  
何かが確かに起こることになるだろうが  
それは私たちがどうすることではない    

そして私が新しい人間について語るとき  
私が本当に話しているのは 
あなたのことだ  
あなたがその可能性に気づくように
 
なぜならその気づきが 
あなたを変えるだろうから  
わたしは未来には関心がない  
わたしの関心は 
ただ 今の この瞬間だ

 まさにOshoとともにいて生きることは、新しいヴィジョンに共鳴して、その革命を生きることなります。

確かにその一瞬一瞬は喜びに満ちたものです。その一瞥を垣間見ることがゆるされたのは、人生にとって大きなことでした。  

お釈迦様の教えは没後、その弟子たちが集まって、仏教聖典の編纂会議によってまとめられたと言われています。その第一回の三蔵結集ではまだ文字などが使われておらず、口伝の寄せ集めでした。  

それが紀元前3世紀半ばごろになって、アショーカ王の第三回の決集がパータリプトラ城で開催され、そのころに文字が使われだし、それまでの口伝をもとにしていた教えが経典、典籍になったと言われています。  

つまり仏陀の教えが編集されたのは仏陀の没後数百年後の結集でのことだということになります。

しかし、それらはお釈迦様の言葉そのものではなく、それらの残っている経典や教えが、果たして本当にお釈迦様の言葉なのかということについては様々に説が分かれています。  

またお釈迦様の教えだとされているものも、そこには必ずそれを聞いたものの解釈が含まれています。

そういう意味で、仏教経典などでは如是我聞、「私はこのように聞きました」というふうに書かれてあって(仏陀の従者であった阿難のことが多いようですが)、お釈迦様の直接の言葉ではないことが示されています。    

ところがOshoの言葉は直接録音され、このように映像としても見ることができるのはラッキーなことです。  

そのOshoは仏陀の教えとされている言葉についても、悟りを得た、仏陀と同じ境地に至ったものとしての視点から語ってくれているので、その言葉はより仏陀の教えに近いものとも言えるのではないかと思われます。

というよりも、仏陀と同じく、悟りを得た、現代に生きたブッダ(目覚めたもの)そのものの言葉です。

なぜなら、解釈は様々な自分のマインドでなされるものですから、悟りを得た無心の境地は根本的にはマインドの解釈によっては分かり得ないものだからです。  

もしそれを語りうるとすれば、同じ境地に至ったものだけです。

肝胆相照らすと言う言葉がありますが、同じ次元、同じレベルに至ったもののみが分かり合える物事というのがあります。  

お釈迦様が語られた言葉というのは、今まさにOshoが語っているヴィジョンと同じく、やはり数百年後、数千年後に向けた言葉でもあったのでしょう。

だからこそ、今までのそのお釈迦様の言葉が、仏教として語り継がれているのです。  

Oshoのヴィジョンを直接聴くことで、あなたはそのヴィジョンを直接体験することができるでしょう。

これは日本語の字幕が入っているビデオです。 日本語の字幕が表示されないときは、画面の下の歯車のマーク「設定」をクリックして「字幕」の言語を「日本語」に選択してください。 

今日はここまでにします。

えたに