習慣と覚醒

「習慣は人間生活の最大の道案内である」

「最初に人が習慣をつくり、それから習慣が人を作る」

というぐらいに習慣を形成することは人生の中でも大切なことだと考えられています。
マザー・テレサも次のような有名な言葉を残しています。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

しかし、覚醒、という視点から見ると、習慣はまた別の意味を持ってきます。

習慣の世界では、すべてが繰り返しだ
覚醒の世界に繰り返しはない

ゴールド•ナゲッツ」 by Osho

習慣とは、長い間繰り返し行ううちに、そうするのがきまりのようになって、無意識化したものです。

例えば、早寝早起きの習慣とか歯磨きの習慣とか。 人間の行動の9割は無意識によってなされているとも言われています。
習慣になってしまえば、考える必要がないので楽です。

車の運転も、最初はひとつひとつの動作を意識的にする必要があるので、集中力が必要で、1時間も運転すればグッタリとなってしまいます。

しかし運転に慣れて習慣となってしまえば、全ての操作は無意識でなされてしまうので、人と話しながらでも、考え事をしながらでも、ラジオを聴きながらでも、運転についてはほとんど意識しなくても自動的に、無意識の中でもできるようになります。

ですから、良い習慣をつけるということはその人の人生を左右するほど大切なものです。
ただし、習慣の別の側面として、無意識化してしまったものは、意識からは見えなくなります。

そして、それを変えることが難しくなります。
自動的に物事が繰り返されて、心ここに在らずの状態でも、ものごとがなされてしまうようになります。
覚醒というのは、それとは全く異なった状態です。

覚醒とは意識が目覚めている状態で、全面的に気づきがある状態です。
その瞬間瞬間に目覚めていることで、その瞬間瞬間が新鮮で、初めてのものであり、その瞬間瞬間に応答できる状態のことをいいます。

その覚醒のもとでは、その瞬間瞬間が驚きに満ちたものであり、習慣的な惰性となって、無意識に行うことはなくなります。
世にいわゆる覚者というのは、そのような覚醒の意識をもって生きることができる人のことです。 

今日はここまでにします。

えたに