瞑想とは観ること ー 何を観るかではない

今回紹介する動画は、
前回紹介した「私は誰か?」
ということについてと同じ動画ですが、

その後半部分で語られていることについての紹介です。

というのは、この後半部分で語られていることも、
瞑想の本質について、
とても大切なことが語られています。

私たちは、瞑想とは観ることだ、
というふうに言われると、

何かを観察することだというふうに解釈しがちです。
つまり、観察の対象物を観察することだと思ってしまいます。

そのように学校では教わってきましたから。
そして肉眼で見ることを教わっているので、
肉眼で見るように観察することだと思ってしまいます。

そして同時に、集中することが大切だと思ってしまいます。
対象物に集中して、観察することだというふうに、
自動的に思ってしまいます。

しかし、瞑想で観る、というのは、
それとはまったく異なっています。

ここでOshoが語っているのは、
観る対象物が問題ではない。
観ることそのものが問題だというわけです。

それは、いったいどういうことなのか?

それについては、Oshoからの話を聞いてください。

<質問>
私という概念や
「私は誰か?」とか
「この(私)はどこから生じるのか」と
己に問い続ける技法について
話していただけますか?

瞑想へ向かうためのこの技法は
自分の吸気と呼気の間を観る技法と
どのような点で異なるでしょうか?

ハートセンターに焦点を合わせて
呼吸を観るのと
下腹のセンターに焦点を合わせて
呼吸を観るのとで 
違いは生じるでしょうか?

ということについてOshoが答えています。

Osho:

あなたはまた
呼吸を目撃し観照することについて
そして
どこで観たらいいのかについて
尋ねている

どこでもいいーー
というのも
ここでの問題は
あなたがどこを観ているかではないからだ
問題は、
あなたが観ているということだ

重要なのは、見守ること、
油断なくいることだ
これらすべてのどこを見るかということは
すべて言い訳にすぎない

息が入るとき
あなたはそれを鼻先で見ることができる
あなたは息が入ってくるのを見ることができる、
あなたは息が戻る時を見ることもできるーー
あなたはそれをどこででも見ることができる

あなたは、
思考が内側で動くのを見ることができる

その全ての要点は、
あなたが観ているもの(対象)に
自分を見失わないことだ

これは大切なことではない
大切なのは、あなたが注意深くいること、
観ていることを忘れていないこと、
あなたが観ていることだ……
観ていること……観ていること……

そして、ゆっくりとゆっくりと、
観察者がより確かなものになり、
安定し、
揺るぎないものになるにつれて、
変容が起こる

あなたが観ていたものが消える
初めて、観るもの自身が観られるものとなり、
観察者自身が観察されるものとなる
あなたは家に戻ったのだ
      Osho

今日はここまでとします。

えたに