愛と死 マニーシャ 来日

 もうすぐ来日するマニーシャ のフェイスブックに、
 次のようなメッセージがありました。

 「まもなく日本に向かいます。
 日本では(他にもいろいろ活動がありますが)
Doing Dying Differently(日本語タイトル:死に向きあう 新しい方法)
 ワークショップをファシリテートすることになっています。

 Oshoからのすばらしい引用をお伝えします……。

死に目覚めさせてもらいなさい。
 そして愛から目覚めのエクスタシーをもらいなさい。

 その両方が必要だ。

 あなたを目覚めさせるために死のショックが必要だ。
 そして愛の滋養も必要なのだ。 」


「もし死のショックしかなかったら、あなたは昏睡状態に陥るだろう。
 もし愛の滋養しかなかったら、あなたは幻覚に陥るだろう。

 死のショックはあなたが幻覚に陥るのを許さないだろうし、
 また愛と愛の滋養はあなたが死のために干上がってしまうことを許さないだろう。

「あなたは愛があれば瑞々しくいられるだろうし、
 死によって油断なく気づいていることができるだろう。
             (Osho:『The Revolution』) 

 

 死というものを前にして、
   私たちはどのようにいられるのでしょうか?

 それが起こるまではよくわからない、
 というのが正直なところです。

 でも、死ということを目の前にしたとき、
 生きるということを強烈に意識します。

 その死がないと、生きていることも自覚しないで、
 たぶん明日も生きているだろうという、
 根拠のない惰性に流されて、
 何となく生きている感じになりがちです。

 体の具合が悪かったりして、ひょっとして癌かも?
 なんて思うと、俄然、この生きていることの貴重さを
 感じます。

 死に損なった経験もあるので、そういう体験はしていても、
 でも、ちょっと油断していると、
 生きるのが当たり前になってしまう。

 本当に、油断なく気づいているって、
 そう簡単ではないですよね。

 というわけで、死があることで、死を意識したときに、
 生きることについて、
 少しは意識的になることができます。

 生きていることの奇跡に、
 気づくようになります。

 「目覚めて」生きるためには、死のショックが必要なのです。

 しかし、実際に死ぬときには、
 私たちは無意識に陥ってしまいます。
 それは死のショックがあまりにも大きすぎるからです。
 
 痛みがあまりに強くて我慢の限界を超えたとき、
 私たちは気絶してしまいます。

 それと同じで、死のショックに直面して
 普通の人なら意識的にいることはできないでしょう。

 眠りは死に近い状態だとも言われています。
 眠るときには無意識になってしまうので、
 死に際して意識的でいることなどできないと思われます。

 なので、死に際には、私たちは昏睡状態に陥ります。

 Oshoのように、死ぬ間際まで意識的に目覚めている
 ことって、できないです。

 Oshoの死に際のときの様子を見ると、
 Oshoは、彼自身話していた通り、
 最後の最後まで意識的でいたのです
 脱帽です。彼はまさに目覚めた人だったのです。

 実は、眠っているときにも目覚めているようにしようって
 頑張ったことがあるんですけど、半意識状態で気づいている
 ということはあっても、完全に眠ってしまったら、
 やっぱり無意識になってます。

 でも、臨死体験などを読むと、体から分離した状態で
 気づいていたときの体験などが書いてあります。
 そういう状態はあるのだと思います。

 「愛から目覚めのエクスタシーをもらいなさい」
 というのは、愛から生きていることの喜びをもらいなさい、
 という意味のように思われます。

 ただ生きているだけではドライです。潤いがありません。
 愛があるとき、生きることが喜びとなり、
 生きることがエクスタシーに感じられます。

 なので、その両方が必要なのです。
 
 死があることで、生きることに意識的になり、
 油断なくいることができるようになります。

 愛だけだと、死のことなぞ忘れて
 夢見心地になってしまいがちです。

 でも、それは幻覚にしか過ぎないとOshoは言います。
 死は確実にそのすべてを奪い去ってしまうのです。

 愛と死の両方が、生きることに目覚めとジュースを
 与えてくれるのです。

 OSHO動画メッセージ(11)。
 生と死についての深い洞察をもたらし、
 死を超えて生きることの可能性に気づかせてくれます。

「この死の瞑想はあなたに
 死は幻想だと気づかせる

 それはほんとうには起こらない
 今まで死んだ人はいないし
 誰もほんとうには死ぬことはできない

 私たちがあまりにも身体に執着しているせいで
 それは死のように見えるのだ」

「私たちは死を恐れている
 ほんとうのところ 死を恐れているのではない

 その恐怖は 何か別のものだ
 あなたは一度もほんとうには生きたことがない
 ─ それが 死の恐怖を生み出す」

「あなたが深く愛した人の死の瞬間は
 あなた自身の死を思い起こさせる

 死の瞬間は 大いなる啓示だ
 それはあなたを無能に 無力に感じさせる

 それはあなたに 自分はいないと感じさせる
 存在という幻想が消え失せる」

「もし 死が来て奪われてしまうものなら 
 この生とは何なのだろう? 

 もし人が死に対してこれほど無力なら
 この生に どんな意味があるのか? 

 そして覚えておくことだ
 あらゆる人が死の床についているのだ」

「死は大いなる啓示だ
 もし死がなかったら 宗教もなかっただろう

 宗教が存在しているのは 死のためだ
 ブッダが生まれたのは 死のためだ

 死の認識ゆえにあらゆるブッダは生まれる」

「生は 本物の生は けっして死なない
 それなら 誰が死ぬのか?
 あなたが死ぬ

 その「私」が、エゴが死ぬのだ
 エゴは死の一部だが 生はそうではない

 だから もし無我になれれば
 あなたにとって死は存在しなくなる

 もし 意識的にエゴを落とせれば
 あなたは死を克服したのだ」

 マニーシャ のワークショップ
 「死に向き合う 新しい方法」
 はこちらから。