私たちは、この地球に生まれ、いずれこの地球を後にして去っていきます。
私たちの前にも多くの人々が生活し、生きてきて、その人たちの遺産を引き継いで、今私たちはこの地球の、この日本に住んで、今の豊かさを享受しています。
地球上では、今も5人に一人が1日1ドル未満の所得で生活をし、7人に一人が慢性的な飢えに苦しんでいます。
私たちは、この日本に生まれてきているだけで、物質的にはとてもラッキーな状況にあると言ってもいいでしょう。
そして、私たちの後に続く子供達に、これから生まれて来る子供達に、これからの世界に、何を遺していくことができるのでしょうか?
そういうことを考えさせてくれる、今回のOshoのビデオです。
彼は語ります。
あなたは客人だ
この地球をもう少し美しくして
もう少し人間味があり
もう少し愛情深く
もう少し薫り高くして
去りなさい
あなたの後にやってくる
見知らぬ客人のために
Oshoが話しているのを聞きながら、Oshoが遺してくれているものを思い出していました。
彼は、まさに彼が語っていることを遺していていることがわかります。
かつてOshoがアメリカのオレゴンに滞在していたころに、最初の4年間は、彼はただ沈黙のなかにいただけでしたが、その彼のまわりに広大なコミューンが建設されていきました。
彼はそのコミューンのゲストとして存在していただけでした。
Oshoは講話をすることもなく、ただそこに存在していただけだったのですが、その彼のまわりには愛と笑いと喜びに満ちたパラダイスが出来上がっていったのでした。
彼はときたま、あるいは毎日であるときもありましたが、ロールスロイスに乗って、その広大な敷地の中をドライブしていたのですが、彼がドライブする時間になると、そのコミューンの建設に携わっている人たちが沿道に並んで、Oshoがドライブで近くを通るときに歓びの微笑みとともに合掌しながら挨拶します。
それがOshoに会うことのできる唯一の機会だったので、みんなはそこでさまざまに、思い思いに楽器や音の出るものを持って演奏して、踊りながら楽しんでいて、Oshoが近くを通るときに聞かせます。
Oshoは、その人たちの近くを通るときにはスピードを落とし、ゆっくりと、人が歩くようなスピートで運転し、ときにはその音楽にあわせて運転席で自分も独特のしぐさでダンスをし、一緒に楽しみながら、微笑みながら、Oshoの運転するロールスロイスが通り過ぎていくのです。
Oshoの誕生日のような日には、そのボンネットにみんながバラの花を一本ずつ置くような時もあって、うずたかくフロントガラスの前に積まれたバラの花束で、Oshoの運転席から前が見えなくなるようなときもありました。
彼がいるだけで、その場は楽しく、歓びとお祝いが自然とわき起こり、そしてまた静けさがありました。
Oshoは語ります。
誰もここには属していないのだよ ヴィマル
今のところ私たちはここにいて
今のところ私たちは
トータルに 強烈に
ここにいなくてはならない
そしてこの瞬間を
できるかぎり美しくしなくてはならない
私たちは生を
ダンスのように生きなくてはならない
そうすれば私たちが去った後
あとからやって来る人たちは誰でも
気づくだろう
ここにいた人びとは
普通の人ひとではなかったと
彼らは花々と芳香とを遺していった
彼らは彼らの歌と
彼らのダンスのこだまを遺していった
彼らは 純粋な24金の足跡を遺していった
あなたは、この惑星にどんな足跡を遺しますか?
このOshoのビデオが、そしてこのブログが、Oshoの遺してくれているバイブレーションの、その少しでも伝えることができればと思います。
それではOshoのバイブレーションをお楽しみください。
日本語の字幕付きです。字幕が表示されない時には、画面の右下の「字幕」表示のためのアイコンをクリックして日本語表示を選択してください。
今日はここまでとします。
えたに