観照のアート 怒り

Oshoの教えのすべてをひとことで言うとすれば、

このひとことに還元できると、Oshoは語ります。

それは瞑想とは何か?

ということをひと言で表すものです。

観照のアート

質問:

「怒りが生じると この感情を見つめ
他者に怒りをぶつけないようにするのが
私にはとても難しいのです。
観照のアートについてお話いただけませんか?」

私があなた方に言ってきたことの全てが
観照のアートについてだ

それはさまざまな次元
さまざまな角度、
さまざまなアングルからだが

私の教えのすべては、
一つの言葉に還元できる

観ること

というのも、
それがあなたの中で唯一
マインドの一部ではないからだ

それがあなたの中で唯一
あなたに属さず、
存在そのものに属するからだ

例えば、私は私の手を観ることができる
それは、私は手ではないということだ
あなたが観れるものは何であれ、
あなたではない

これは単純な算術だ
観照者は自ずと、
観照する対象とは別になる

あなたは自分の体を外側から観れる
内側からもだ
目を閉じて自分の体を
内側から観れる

暗いだろうが、
それほどはっきりとは観えないだろうが、
それでもなお多くのことが感じられる

心拍が聞こえる
あなたが本当に静かなら、
血液が流れる音さえ
聞き取ることができる

あなたは体ではない

あなたはマインドを観ることができる
そのすべての思考
どれほど微細でも
あなたの観照の対象になりえる

あなたはマインドの最も微細な表現も
観ることができる

それにより一つはっきりするのは
あなたがマインドでもないということ

気持ちを観照するのはやや難しいが
不可能ではない

詩人がハートと呼んだもの
あなたの感情 あなたの気分
それはあなたの人格の中で 
最も精妙なものだ

ちょっとした悲しみ
ちょっとした喜び
あるいは、無関心・・・
だが、無関心さえもある種の態度だ

観照は より一層深くなっていく
気分の先には 観るものはない
沈黙だけがある

その沈黙において 
大いなる奇跡が起こる

観照していたエネルギーが
それ自体へと向きを変える
                                    Osho

今日はここまでとします。

えたに