Oshoの光明に至る瞑想の秘密

「私はスポンティニアスに生きる」

 I Live Spontaneously  アメリカのインタビューシリーズです。  

質問者は「ケン・カシワハラ」なので日本人二世かもしれません。ABCネットワークUSAのグッドモーニングアメリカという番組からのインタビューです。 日本で言えばモーニングショーのようなもんでしょうか?  

最初の質問は「沈黙していたのに、どうして話す気になったんですか?」という質問です。  

Oshoは1981年にインドのプネのコミューンを離れてアメリカに渡りましたが、プネを離れる前から話すのをやめて、沈黙に入っていました。  

当時は、もうOshoは二度と話すことはないと思われていましたが、突如として1985年にこのアメリカのメディアに対するインタビューシリーズを始めました。  

それまでの5年間は沈黙していて公の場で話すことはありませんでしたので、Oshoが話し出したと聞いてびっくりしました。  

私が本でOsho を知った1980年の頃はすでにOshoはインドを離れ、沈黙に入っていたので、「ナマのOshoの講話を聞きたかったなぁ」ってとても残念に思っていました。  

すると突然このアメリカの記者とのインタビューシリーズが始まり、しばらくこれが続いた後、「Oshoが一般に向けての講話を始めた」というのを聞いたとき、「今だ!」というのでアメリカまでOshoの講話を聞きに行ったのが初めての私のOshoとの出会いでした。  

それはともかく、そこでの記者への質問に対するOshoの答えが、「I Live Spontaneously 」 私はスポンティニアスに生きている。  

その「スポンティニアス」というのは、Oshoの生き方の基本でもありますが、なかなか日本語にはなりにくい言葉です。  

英和辞書によると「(外的な強制でなく)自発的な、任意の、自然に起こる、思わず知らずに生じる、自動的な、自然な、流麗な、のびのびした」とあります。  

spontaneousの語意を英語で見ると

1)acting in accordance with or resulting from a natural feeling, impulse, or tendency, without any constraint, effort, or premeditation

2)having no apparent external cause or influence; occurring or produced by its own energy, force, etc. or through internal causes; self-acting

3)growing naturally without being planted or tended; indigenous; wild  

Oshoはそのスポンティニアスの生き方を具体的に次のように語っています。

私は起こるに任せている
前もっては決めない   
私は明日を未定にしておく  
話したくなれば 私は話す  
黙っていたければ 
黙っている以外の道はない  

そして私は一度も 
なぜかと自分に問うたことはない  
というのも「なぜ」は
答えようがないからだ  
あらゆる答えは恣意的だ  

だから私はただ  
川とともに流れ続ける  
尋ねはしない  どこへ行くのか  
なぜ行くのか どこで終わるか 
などと  そしてこれは 
生に対する私の基本姿勢でもある  
完全なレットゴーだ
」  
     

ケン・カシワハラ
「沈黙の誓いを立てられたのには 、そもそも理由がおありなのでしょうか? それとも理由もなく?」  

Osho
どのような理由もあり得ない  
私は理由によっては生きていない  
私は 物事が起こるにただ任せる    
私には なぜ私が
沈黙に入ったのかわからない  
私には なぜ私が
再び話し始めたのかわからない  

しかし私は
沈黙にいるのを楽しんだし  
沈黙から再び出てきたのも
楽しんでいる  

私には明日のことはわからない  
沈黙するかもしれないし  
話しているかもしれない  
まったくここにはいないかもしれない
」  

これがまさしく「スポンテイニアスに生きる」ということの意味です。  

ケン・カシワハラ  
「あなたは世界中が滅茶苦茶だとおっしゃいます。あなたは人類に、この世界に、何を作り出そうとしているのですか?」  

Osho
私はただ 
まともでいる方法があると
言っているだけだ  

私は 過去によって
あなたの中に作られた  
この狂気から抜け出せると
言っているのだ」  

ケン・カシワハラ  
「どのようにしてですか?」  

この答えの中でOshoは瞑想の技法について答えています。このOsho の瞑想の方法については、ここでOshoは詳細に語ってくれています。  

これはとても大切なところなので、ビデオで直接Osho自らの説明を聞いてください。    

この瞑想こそが
本物の宗教の まさに秘法なのだ
それが光明の瞬間なのだ  
それが あなたが初めて 
条件付けのない  正気で 
本当に自由な 人間になる瞬間だ

と語っています。  

こんなに大切なことをOshoは語っているのに、記者はほとんど関心を示すことなく、聞き流したまま、次の質問に移ってしまいます。

あらかじめ用意した質問をすることしか頭にないようです。  

ケン・カシワハラ  
「もしできれば、これまであなたについて言われてきたことについて取材させていただきたいのですが、例えば、人々はあなたを『フリーセックスノグル』だと言っていてます。」  

「でたー」っていうような、アメリカで毎度なされる質問です。アメリカでは、Oshoのこういうことについての関心が一般的です。

何せモーニングショーの番組なので、こういう関心になってしまうのでしょうね。  

この記者の質問はアメリカの人たちのOshoに対する関心の程度を示しています。  

ここでのOshoの発言は、またしても物議をかもすような発言で、私の口からはとても言えませんので、興味のある方はOsho から直接聞いてください。  

それではお楽しみくださいね。

これは日本語の字幕が入っているビデオです。 日本語の字幕が表示されないときは、画面の下の歯車のマーク「設定」をクリックして「字幕」の言語を「日本語」に選択してください。

<Oshoの瞑想の技法>

あなたの思考過程に
単なる目撃者であることによってだ。

それが私の瞑想の手法だ。

それは祈りではない、
祈る相手の神はいないのだから。

それは、
ただ静かに座り
あなたの前を過ぎゆく思考を
目撃するということ

ただ目撃し 
干渉しない
判断さえしない

なぜなら判断したとたん
あなたは純粋な観照を失ってしまう

「これは良い」「これは悪い」
と言ったとたん
あなたはすでに思考過程に飛び込んでしまっている

目撃者とマインドの間に隙間を作り出すには
少々時間がかかる

隙間ができたとたん
あなたはとても驚くだろう・・・

あなたはマインドではなく、
目撃者だ見守るものだ

そして
この見守る過程こそが
本物の宗教の 
まさに秘法なのだ

というのも 
あなたがより一層深く目撃することに根ざしたなら
思考が消え始める

やがて 
そこに何の思考もない瞬間がやってくる

あなたはいる
しかしマインドはまったくの空っぽだ

それが光明の瞬間だ
それが 
あなたが初めて条件付けのない
正気で本当に自由な 
人間になる瞬間だ

今日はここまでにします。

えたに