「OSHOと過ごしたダイヤモンドの日々」からのOSHOの紹介です。
この本では、OSHOの身近で洗濯係をしていたシュンニョから見たOSHOについての体験が書かれています。
シュンニョは1970年代後半から、OSHOがアメリカに渡り、その後ワールドツアーを経て、インドのプネに戻ってからも、ずっとOSHOの洗濯係を務めていました。
シュンニョがOSHOの洗濯係をしていると知った彼女の母親は、どうしてインドくんだりまで行って人の洗濯をしているのか理解できず、すぐに帰って来るように手紙をよこしたそうです。
彼女は、何年も同じ仕事をしていましたが、飽きることがなかったようです。
それどころか、OSHOのエネルギーを身近に感じることも多く、幸せに満ち足りた毎日だったとのことです。
シュンニョはOSHOについて、次のように書いています。
「OSHOを愛することはとても簡単です。
OSHOの愛は無条件で、何も要求しないのですから。
そして私がどんなことをしても、それがOSHOの目に「あやまち」として映ることはないのです。
私はこれを自分の経験から知りました。
私は無意識に行動し、あやまちを犯すこともあります。
ですが、そのあとで自分の無意識によって苦しむのはいつも私自身です。
OSHOはそれを知っています。
OSHOの慈愛はそれよりも深いものです。
彼はただ私たちが瞑想し、自分の犯したあやまちから学ぶことだけを求めています。
私にはOSHOが永遠に変わらない至福の状態にあるのがわかりました。
何かの出来事のせいでOSHOが不機嫌になったり、その穏やかさとくつろぎ、あるいは中心の据わった状態が失われるのを目にしたことは一度もありません。
OSHOには欲望も野心もなく、どんな人に対しても何も要求しないのです。
ですからOSHOが人を利用することは、けっしてありえません。
せいぜい私が何かの問題について質問したときに、助言を与えてくれるぐらいです。
その後、彼の助言を受け入れるかどうかは私次第でした。
助言通りにしなかったときもあります。
自分なりにやりたいときもあったのです。
それでも彼は、けっしてそれを非難しません。
学びのために私があえて困難な道を選んだということを、彼は認めてくれたのです。
「困難な道」と言ったのは、OSHOの助言は正しかったと、いつもあとからわかるからです。
OSHOがここにいる唯一の目的は、私たちが覚醒を増し、私たち自身の本来の姿を見つけるのを手助けすることだということが、私にはだんだんはっきりとわかるようになってきました。
「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」
(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)