クレタの警察官の乱入

シュンニョの事故の2日後、突如として警察官たちがOSHOの滞在していた別荘先に乱入して、OSHOを逮捕して連行しようとします。

それがどうしてなのかは分かりません。
警察署長も何らかの命令でそのように指示されてのことなのです。

そのような状況の中で、OSHOはどのようにふるまっていたのか、というのはとても興味深いものがあります。

そのすべてをここには書けませんが、どんな状況だったのかを少し書いてみます。

再びOSHOは国外追放になりますが、ギリシャを発つにあたり、OSHOが報道陣に向けて語った最後の言葉は次の通りです。

「4週間のツーリストビザしか持たずに訪れたたったひとりの人間が、あなたがたの2千年にわたる道徳と宗教を破壊できるとしたら、そんなものは維持する価値がない。そんなものは壊してしまうべきだ」

シュンニョは書いています。

その日の翌日、アテネにいるマ・アムリットから電話がありました。
公安局の長官に会ったところだけれどもすべては順調で、心配はいらないと言っていました。

昼の二時頃、私は騒ぎを耳にしました。
ベッドを出てドアのところまで行くと、そこでアナンドに出くわしました。
警察が来ているけれどあなたはベッドに戻りなさいと、アナンドに言われました。

ベッドに戻れですって? 私はすぐに服を着ました。
私はこれまでの経験から学んでいました──警官が着たときに着ている服は、それから数日間にわたり拘置所で着ている服になるかもしれません。

私はOSHOのいる建物に向かいました。
建物は、銃を手にしてなにやら叫んで知るいきりたった私服警官たちと、20人ばかりの制服姿の警官たちに包囲されています。
4人の警官が、アナンドを地方の拘置所に連行しようとしています。
助けようとしたアナンドの友人も同じ目にあいました。

私は玄関の階段に走りあがると、ドアの前に立ちふさがり、そこにいた警官に言いました。
「何かのまちがいです。待ってください。私たちの弁護士は、警察署長に連絡をとっているところです。まちがいを正さなければなりません」

すると彼は言いました。「私が警察署長だ」

これはなにかのまちがいで、もっと上の部署に確認するべきだと私は言い張りました。
するとなんと別の男が言いました。「私は知事だ」

なにかひどいまちがいがあったのだと、私は思っていました。
助けが訪れるまでのあいだ、警察が家に入るのを阻止できればすべてうまくいくだろうと信じていました。

ですがこの男たちは、なにか危険な使命を帯びて、緊急事態を収拾するために派遣されてきたかのようでした。

私はシャーロットでの逮捕を思い出しました。
あのときもまた、私たちを逮捕した人たちは、自分たちのしていることを理解していませんでした。
危険なテロリストを逮捕するのだと、思い込まされていたのです。

男たちは2、3人ずつのグループに分かれ、突破口を求めて家の周りをうろつきました。
私は窓によじ登ろうとしている二人の男に追いすがり、彼らの前に立ちはだかると「だめ!」と叫びました。
彼らは私をどかそうとしましたが、私は頑として立ちふさがり、窓に近づくのを許しませんでした。

2晩前のオートバイの事故で、私の顔はあざと切り傷だらけでした。
この傷だらけの顔のおかげで彼らは私に手出ししないかもしれないと思ったので、私はそれだけの勇気をふるいおこせたのでしょう。
彼らが私に手出ししたら、私は自分の顔の傷を彼らのせいにもできたでしょう。
そうしたら彼らは困った立場に置かれます。
おそらく彼らのほうでもそんなことを考えていたのでしょう。

彼らにどんな考えがあったかは想像しかできませんが、とにかく彼らは、私がさんざん妨害したにもかかわらず、私には暴力をふるいませんでした。

・ ・ ・

そのとき、ガラスが割れる音がしました。
走って家の角を曲がると、ちょうど3人の警官が、高さ120センチほどの壁を越えて窓から家に入ろうとするところでした。

彼らが廊下づたいに階段へと向かうのが見えました。
表玄関のドアもこじ開けられようとしています。
私もガラスが割れた窓によじ登り、警官たちのあとを追ってらせん階段のほうに走りました。

階段を登りきったところがOSHOの部屋です。
私は警官たちより先に階段を登りきりました。
警官たちは、私がどこか特定の場所をめざしているのに気づくとしりごみしました。
機関銃の隠し場所に向かっているとでも思ったのでしょう。

階段の上ではラフィアがカメラを構えていて、階段を登ってくる警官たちの写真を撮っていました。
私がOSHOの浴室に入ると同時にラフィアは2、3人の男に捕まり、居間に引きずり込まれていきました。
彼は袋叩きにされるだろうという思いが頭をかすめましたが私にはなにもできません。

2、3分後、ケンドラが男たちを追って居間に入りました。
床に倒れたラフィアには、ふたりの男が馬乗りになっています。
それでもラフィアは、カメラから抜いたフィルムをケンドラにうまく渡しました。

ジョンが私のそばに立っていました。
私たちはドアの隙間からOSHOに声をかけ、なにが起きているかを知らせました。

「すぐに出て行く」と警官たちに伝えなさいと、OSHOは言いました。
ゴリアテが階段の上にあらわれました。
らせん階段は警官でいっぱいになり、みんな上に登ろうとして叫んでいます。
OSHOの浴室の前の廊下も同じような状態です。

・ ・ ・

警官たちは、私を浴室のドアのところからどかそうとしました。
でもこのときも、傷だらけのかのに浮かんだ断固とした表情のせいでしょうか、彼らは私に暴力をふるいませんでした。

「お願いだから、彼が浴室から出てくるのを待って」と私は言いました。
何人かの男たちがOSHOの寝室のドアを蹴りたおし、銃をかまえて部屋に突入しました。

私とジョンは廊下にいました。
そこにOSHOが姿を見せると、押し合いへし合いの大騒ぎになりました。

私は警察署長の方を向いて、こんなにたくさんの人員は必要ないから、あのいきりたった人たちを階段から下ろしてほしいと言いました。彼はそうしてくれました。

8人から10人ぐらいの警官だけが残り、OSHOが居間に入るのに、ぎこちない様子で付き添いました。
OSHOはゆったりとした足どりで自分のアームチェアのところまで行き、そこに腰をおろしました

 

「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」

(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)