人生のなかで、命拾いした、とか危機一髪の状況って、経験したことがあるかと思います。
車を運転していて、危うく事故になるような状況で難を逃れて胸をなぜおろしたりとか。
私の場合だと、趣味でロードレーサーのバイク(自転車)で走ることがよくあるのですが、走っていると、大型トラックが5センチも体から離れないような距離を、猛スピードですり抜けていった時とか。
そんなときは、ちょっとでも触れていたら、巻き込まれて命がないので、ほんとにひやっとします。
日本の狭いロード事情のなかを自転車で走るのは危機一髪の状況に事欠かず、まさに命がけです。
そういう状況では、しばらく心中穏やかではないのですが、OSHOは、そういうときでもまったくふだんとかわらないようなのは驚きです。
それはともかく、今回はOSHOがドライブしていて、まさに危機一髪になった事件についてです。
グルジェフは車の運転が乱暴で、一度は大きな事故にあい、車は大破して、自らも何カ所も骨折して瀕死の状態になりながらもその車のなかからはい出して、九死に一生を得た事件がありました。
その事故については謎が多く、グルジェフが自分で意図的に引き起こした事故なのかどうかという議論があるようです。
OSHOはその一歩手前で大事故になる難を逃れたのですが、それはOSHOが意図的に引き起こした状況だったのか、あるいはまた、たまたまそうなってしまったのか?
そのときの状況をシュンニョは次のように書いています。
「ある日、OSHOの運転する車に乗り、ラジニーシプーラムへの曲がりくねった坂道を下っていた時のことです。OSHOはカーブでハンドルを切りそこね、車は崖のふちに突っ込んで止まりました。
車の前の半分、車長の三分の一ほどが空中に浮かんでいました。下には9メートルほどの断崖があり、その先は谷底まで続く急斜面です。
「ほら、どうなっていたかわかるかね‥‥‥」とOSHOが尋ねました。
私は身をかたくして座っていました。
ちょっと動いただけでも車のバランスが崩れ、断崖に転落してしまうかもしれないので、息をするのもためらっていました。
OSHOは2、3秒のあいだじっとしていましたが、それからエンジンをかけ直しました。
私はいるはずもない神に祈っていましたーーどうかバックギアに入れてください。
車はゆっくりとバックして道路に戻り、私たちは家へと向かいました。
私には先ほどOSHOが尋ねたことの意味がわかりませんでしたので、こう尋ねました。
「どうなっていたというのはなんのことですか?」
OSHOはこんなふうに答えました。
「あそこのぬかるみをさけようとしていたのだ。
あそこにつっこんでいたら、洗車係のチンに迷惑をかけるからね」
「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」
(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)