最大の神秘、そして最大のタブーである死について

最大の神秘、そして最大のタブーである死について、OSHOは多くを語りました。

その集大成が「死について 41の答え」です。

この本はOSHOの講話や図書関連の秘書を長年務めていたマニーシャが650冊以上に及ぶOSHOの本から、生きることと死ぬことについてのテーマについて語っているところを編集したものです。

今回OSHOが語っているように『生と死は、鳥の両翼のようなも』なので生と死のプロセスを二つに分けることはできないということです。

「チベットの死者の書」では、人が死んだときに、死者の魂を導くために49日にわたって、死後どのようになっていくのか、生まれ変わるときにどのようなことに気をつけなければならないのか、などについてかたり聞かせる儀式を行います。

その儀式はバルド・トドルと呼ばれています。そうしないと死者の魂は迷ってしまって、次に上手く生まれ変われないと信じられています。

しかし、生と死はひとつのプロセスだとすれば、まず生きることから死のプロセスが始まっています。いかに死ぬかということを考えるときには、いかに生きるのかということ抜きにしては語れません。

ちなみに、マニーシャが『死について 41の答え』(The Art of Living and Dying)の本を編集したときのことについての動画でのインタビューは、こちらで見ることができます

OSHOは次のように語ります。

私はあなたがたに言う。
死は架空のものだ。
死はない。
死ぬものはなにもなく、
ただものごとは変化するだけなのだから。
あなたに覚醒があるならば、
あなたはものごとをよい方向に変えられる。
そのようにして進化は起こる。

シュンニョは語ります。

最大の神秘、そして最大のタブーである死について、OSHOは多くを語りました。

『The Rajneesh Upanishad』という講話録には、 つぎのような 一節があります。

私たちは誕生の瞬間に生を放棄した。
 誕生とは死の始まりにすぎないのだから。
 一瞬ごとにあなたは死にゆく。
 
ある日、たとえば70歳になった日に、死が訪れるのではない。
 死は事件ではなく、誕生に始まるひとつのプロセスだ。
 それには70年かかる。
 ゆるやかだが、それでもそれはプロセスであって、事件ではない。

 私がこれを強調するのは、
 生と死は別々ものではないことを、
 あなたにはっきり見せるためだ。
 
死が生を終わらせる事件だとするならば、
 ふたつは別のものだということになってしまう。
 ふたつが別のものだとするならば、
 ふたつは対立者どうしだ、
 敵どうしだということになる。

 死は誕生に始まるひとつのプロセスだと言うとき、
 私はまた、生も誕生に始まるひとつのプロセスだと言っている。
 
ふたつは別のプロセスではない。
 ひとつのプロセスだ。
 誕生に始まり死に終わるプロセスだ。
 生と死は、鳥の両翼のようなものだ。
 一対の手、 一対の足のようだと言ってもいい。

 生は弁証法だ。
 これが理解できたなら、
 
死に対するとほうもない受容がひとりでに起こるだろう。
 
死はあなたの敵ではなく、あなたの一部だ。
 あなたはそれなしには生きられない。
 
 
私はあなたがたに言う。
 死は架空のものだ。死はない。
 死ぬものはなにもなく、
 ただものごとは変化するだけなのだから。
 あなたに覚醒があるならば、
 あなたはものごとをよい方向に変えられる。
 そのようにして進化は起こる』

 

「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」

本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)