OSHOの未来への革命
OSHOの答えは、ただ現代人に対してだけのものではなく、未来の、全人類に向けてのものでした。 OSHOへの質問は、ただ質問をする人に対してだけではなく、OSHOがいなくなり、OSHOが答えるのをやめたときに生まれてくる人…
OSHOの答えは、ただ現代人に対してだけのものではなく、未来の、全人類に向けてのものでした。 OSHOへの質問は、ただ質問をする人に対してだけではなく、OSHOがいなくなり、OSHOが答えるのをやめたときに生まれてくる人…
このウルグァイでのOSHOの講話は日に2回、40人ほどの弟子たちを相手に、親密な雰囲気のなかで話されました。そこでは、まさにマスターの弟子に対するワークがなされていました。 OSHOの晩年、インドのプネに戻った彼は禅の公…
OSHOは、これほどの仕打ちを全世界から受けながら、これほどの受難と苦難のなかにありながら、OSHOの存在への信頼はいささかまも揺らぐことがありません。 OSHOが語っていることは、机上の空論ではなく、まさに彼自身がこれ…
OSHOがふだん、どんなふうにすごしているのか、ということはごく身近にその様子を見ていた人にしかわかりません。そんな日常の一端がここでは書かれています。 ウルグァイではプンタ・デル・エステという「南米のリビエラ」と呼ばれ…
ウルグァイってどこにあるかご存知ですか? 多くの国から入局拒否をされ、OSHOが向かった先はウルグァイでした。ギリシャのアテネを行き先もなく飛び立って2週間後のことです。訪問を予定していなかった国も含めて21カ国がOSH…
OSHOのワールドツアーで明らかになったこと。それは次のOSHOの言葉に集約されています。 「なんの権力ももたないたったひとりの人間が、世界最大の権力をおびやかし、 それを根元まで揺さぶることができたということだ」 OS…
母国のインドに帰っても、アメリカはインドに圧力をかけ、OSHOの弟子たちがOSHOに会えないようにしようとしました。 そこでネパールに拠点を探しましたが、ネパールの国王はOSHOのファンでしたが、これもアメリカ、インドの…
OSHOのワールドツアーでは、ギリシャを飛行機で飛び立ったものの、その時点ではまだ行き先もわからない状況でした。 それからのできごとは、他の人たちも知るすべもなく、OSHOとは音信不通となってしまいます。 その間、OSH…
この瞬間にあることは、マインドにはできません。 マインドにできるのは、考えることであったり、外側のものごとに対処することです。内なる探求においてはマインドは役には立ちません。 マインドは心理的な分析や解釈はできますが、さ…
OSHOとはいつも会えるとは限りません。 そして会える人たちは限られています。 OSHOは1981年アメリカに渡る前に沈黙に入り、側近の人たち以外と話すことはなく、それもさえも限られていて、1985年に話しはじめるまでの…