悟りを得た人の教えや禅の教えなどを見ていると、思考なくして生きること、過去や未来に生きるのではなく、この瞬間瞬間に生きる、今ここに生きる、ということがよくいわれます。
思考というのは過去や未来のことを考えるようにできているので、今のこの瞬間に生きることができれば、思考がなく生きることができます。
逆に思考なく生きることが、この瞬簡に生きることになります。
言葉で理解しようとしてもなかなか理解できませんが、OSHOの生き方を見ていると、そのことがよくわかります。
私たちは過去に生きることで多くの悩みを作り出しています。
過去のことを悔やむことに多くの時間を使い、精神的に落ち込んでしまったりします。
その結果今を生きることができなくなって、未来に希望を持てなくなり、さらに落ち込んでしまいます。
しかし、OSHOを見ていると、一瞬たりとも過去を振り返ることはなく、すでにつぎの新たなる情熱とヴィジョンがそこにあります。
どうしてそのようなことが可能なのでしょう?
どうやら、OSHOにとってはその一瞬一瞬が喜びであり、その一瞬一瞬を愛しているので、そこに過去を振り返ったり、過去を後悔するということはないようです。まさにノーマインドの(思考がない)人というのは、こうなのか! ということが彼の行動をみているとよくわかります。
そして「責任」ということについてのOSHOの考え方も徹底したものです。
OSHOがアメリカのコミューンを離れたあと、アメリカ政府はコミューンの資産を凍結して、コミューンの破産宣告をしてコミューンはなくなりました。
そのコミューンには遺産を丸ごと与えた人、コミューンで暮らすために自分のすべての財産を投げうって移り住んだ人たちも多くいました。
その人たちは無一文になって、ふたたび世間へと放り出されることになりました。
「その人たちに責任は感じないのか」ということを、ある記者がOSHOに質問しました。
そのOSHOの答えには彼の生き方と考え方が凝縮されています。
シュンニョは語ります。
「ラジニーシプーラムのニュースが少しずつ伝わってきました。
アメリカ政府がコミューンの資産を凍結し、コミューンの破産宣告をしたことを知りました。
アメリカ政府がそのためにどんな手を使ったのかも知りました。
何百人ものサニヤシンたちがコミューンを離れ、一文無しのまま世間に出て行きました。
家族や友人が離ればなれになったり行方不明になったりする様子はまるで戦時中のようでした。
それまでずっと、コミューンは永遠にあるものと思っていました。
ボーイフレンドが別の女性を選んだためにみじめな思いを味わったこともあります。──
私はそうしたすべてのときのことを思い出しました。
すべてがどれだけはかないか、それがわかってさえいれば、そんなときにも陽気でいられたでしょう。
アメリカ政府がコミューンを訪れたのと同じように、いつか死が訪れるはずです。
過去を悔やむのをよそう、私はそう誓いました。
不幸になることで浪費できる時間はありません。
ある記者がOSHOに質問しました。
「あなたは自分のサニヤシンに対してなんらかの責任を感じませんか。あなたのコミューンで暮らし、金銭を投資し、ときには遺産までつぎこみ、そしてコミューンのプロジェクトを推進する労働力ともなった人たちです」
OSHOはこう答えました。
「私にとっては、責任とは個人的なものだ。
私には私自身の行動と思考に対する責任しかもてない。
あなたがたの行為と思考の責任はもてない。
遺産をまるごと与えた人たちがいる。
私も自分の生のすべてを与えた。
だれに責任があるだろう?
私は自分の生のすべてを彼らに与えたが、その責任は彼らにはない。
彼らの金には私の生ほどの価値はない。
私はみずからの生をもって、何千人もの彼らのような人々を見つけられる。
彼らがその金を持って、私に似たもうひとりの人物を見つけることはできない。
だがその責任が彼らにあるとは思わない。
それは私の喜びだった。私はその一瞬一瞬を愛した。
そして私はこれからも、最後の息をひきとるときまで、
私の生を、私の人々に与えるつもりだ。
それについてだれにも責任を感じさせることなく、
したがってだれにも罪悪感を感じさせることはない」
「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」
(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)