子供を産むのか産まないのか

結婚したら子供を産むというのはある意味自然ななりゆきです。

最近は別に結婚しなくてもいいですし、とりわけ女性にとっては子供を産むというのは配偶者がいるいないに関わらず、大きな問題です。

ある意味子孫を残すという本能に関わる部分でもあるので、男性にとっても大きな問題ではあるようです。

しかしシュンニョが書いているように、「世界の人口はすでに過剰になっています。
Oshoのサニヤシンという世界で2、3千人の人たちは、すでに過剰な人口をさらに増やそうとはしません。生の量ではなく、生の質を高めようとしているのです」
ということで、サニヤシンの人たちは子供を持つという考えは希薄ですし、むしろ持たないという方針の人たちが多いです。

強烈な母性本能があり、5人の子供を産むと決めていたシュンニョですが「瞑想が自分の妊娠中に感じたような一体感をもたらしてくれることを知った」ことで、その母性本能も消えてしまったようです。

シュンニョは語ります。

「親しくなって6ヶ月ほどしてから、いっしょに休暇に出かけることにしました。そしてカリフォルニアですばらしい1ヶ月を過ごしました。

カリフォルニアにはイギリスから私の両親がやってきていて、数日間、私たちといっしょにいました。
両親と過ごしたこの数日のあいだに、私は自分が社会の「規範」から、どれほど遠く離れたところにいるのかがわかりました。

私と両親とのあいだには、もはやどんなかけ橋もないことも知りました。
もちろん、愛というかけ橋はあるのですが、それは沈黙のなかでしか表現できません。

「子供を持たないのか」と父は尋ねました。
「子供は産まないでしょうね」と私は答えました。

「だが、人生は子供を持つためにあるんじゃないか。
 人生のよろこびのすべては子供を持つことにある」と父は言います。

私はこう答えました。
「いいえ、私はまず自分自身を産まなければならないの。
 子供を育てるための時間はないわ」

世界の人口はすでに過剰になっています。
Oshoのサニヤシンという世界で2、3千人の人たちは、すでに過剰な人口を、さらに増やそうとはしません。生の量ではなく、生の質を高めようとしているのです。

私は父にそんなことをそんなことも話しました。
子供のいるサニヤシンはまれにしかいません。
一方、世界のあらゆる宗教は、産児制限を罪とすることで信者の数を増やそうとしています。
それらの宗教は、生の質に興味がありません。
それよりも信者の数を増やしたいのです。

私の母性本能は、瞑想をはじめたことによって大きく変化しました。
それに、誰よりも驚いたのは私自身です。

私は20歳のときに子供を産みました。
ですが、未婚でしたし、自分が充分と感じられるような生活水準で子供を育てられるような経済的な余裕もありませんでしたから(私はその子を王様のように思っていました)、私はその子を養子に出しました。

子供を養子に出してから、かなりのあいだ、私は混乱に落ちいり落ち込んでしまったので、キリスト教の「未婚の母のカウンセラー」に助けを求めました。
もっともそれは「このことを教訓にできたらいいですね!」とか言ってもらうだけでした。

私の母性本能はとても強烈でした。
私のホロスコープでは太陽が子午線上の蟹座に位置していると言えば、占星学を知っている人には理解できるでしょう。
経済的な余裕ができしだい、夫がいてもいなくても、5人の子供を産むことに決めていました。

妊娠し、子供を産むというのは、このうえなく美しい体験でした。
そのあいだ、私は大地と一体になり、完全にくつろぎました。

妊娠中絶は殺人だし、子供の生きる権利は母親の権利に優先すると思っていました。
ですが、2、3週間ダイナミック瞑想をしたあとで、私の母性本能はきれいさっぱり消えていました。なんの痕跡も残らなかったのです。

そして、その日からずっと、私自身の内的存在(ビーイング)を産みだすことにエネルギーを集中させるようになりました。
そして私は、瞑想が自分の妊娠中に感じたような一体感をもたらしてくれることを知ったのです。

「Oshoと過ごしたダイヤモンドの日々」

(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)