母国のインドに帰っても、アメリカはインドに圧力をかけ、OSHOの弟子たちがOSHOに会えないようにしようとしました。
そこでネパールに拠点を探しましたが、ネパールの国王はOSHOのファンでしたが、これもアメリカ、インドの圧力がかけられ、OSHOの西洋の弟子の人たちのビザが取り消され、OSHOに会いに行くための観光ビザも発行されなくなりました。
そこで提案されたのがOSHOの方が世界を訪れるというワールドツアーのアイデアでした。ところがそれさえも不可能な状況に陥りました。
突然前触れもなくギリシャを追い出され、行き先もわからない状況でギリシャの空港を後にして飛び立たなければなりませんでした。
そして訪れる国々からは入国さえゆるされない状況が続いたのでした。
どうしてこのようなことになったのでしょうか?
どうして、アメリカは世界各国に圧力をかけてまで、OSHOの活動を阻止しようとしたのでしょうか?
シュンニョは書いています。
「私たちがネパールにいたころ、世界地図を広げて、どこに行こうか考えていたことがあったのを思い出しました。可能性は、全世界に広がっていました。
ところがいまでは、世界はとても狭くなっています。どこにも行くあてがありません。
ハシヤとジャイエッシュが世界じゅうの国々に打診しましたが、私たちを歓迎する国はありません。
各国の政府には、私たちはテロリストだというメッセージが送られていたのです。
アメリカは、OSHOに圧力をかけるよう、自国に負債がある国々に命じていました。
なぜアメリカがそこまでOSHOに怒り狂ったのか、私にはわかりませんでした。
OSHOの語ることがアメリカの文化、社会、信条に反しているのはわかります。
それでもなお、ただ真実を話したという理由でOSHOがそこまで迫害されるのはどうしてなのか、私は理解に苦しみました。
私はラフィアに聞いてみました。
私は彼をアメリカ人と呼びたくはないのですが、彼はともかくアメリカで生まれ、アメリカで育っています。アメリカ人がこれほどきちがいじみた反応をするのはどうしてなのか、私は彼に聞いてみました。
ラフィアはきらきらした目と低い声のゆっくりした話しかたで、こう答えてくれました。
「OSHOは、アメリカ人の信奉する神々を、まとめてゴミ箱に捨てたんだ。第一に挙げられるのは、お金という神だろう」
アメリカ人の物質主義にはすさまじいものがあり、だれもがりっぱな車を欲しがっているといいます。そしてOSHOは、1台どころか96台ものロールスロイスを手にいれてしまったのです。
ラフィアはさらに言いました。
「アメリカ人は、自分たちのことを偉大なる開拓者だと信じていたのに、OSHOは彼らの上を行ってしまった。わずか五年間で、オレゴンの砂漠の一角を世界の模範になるような都市と農場に変え、そこでは何千人もの人々がともに暮らし踊っていたのだから」
ラフィアは思い出しました……カリフォルニアからはじめてオレゴンに来たときに彼の目に映ったのは、車のバンパーに張られた
「赤になるぐらいなら死んだほうがまし」というステッカー、それにOSHOの顔に×をつけた絵に「この男を消せ」という文字が添えられたポスターでした。
そうです、OSHOはもちろんキリスト教の神もゴミ箱に捨てました。
レーガンと彼の閣僚たちは、キリスト教の熱狂的な信者でした。
そしてOSHOは、つぎのように語ったのです。
「過去2千年間にわたり、キリスト教は、ほかのどんな宗教よりも大きな害をなしてきた。それはたくさんの人々を殺し、人を生きたまま火刑にした。
神、真実、宗教の名において、たくさんの人々を殺してきた。殺すのも彼らのためだと信じながら。
あなたのためだと思ってあなたを殺す、そうした殺人者にはまったく罪の意識がない。それどころか、自分はよい仕事をしたとまで感じる。
人類と神に貢献した、愛、真実、自由などというすべての価値あるものに貢献したとまで感じる」
『Jesus Crucified Again, This Time in Ronald Reagan’s America』
「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」
(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)