OSHOはジャマイカに着きました。OSHOはなんの問題もなく観光ビザを手にいれたのですが、同時にアメリカ海軍のジェット機が、同じ飛行場に舞い降り、
観光ビザは取り消されることになり、「国家保安法に基づく命令」によって、再びジャマイカを離れなくてはならなくなりました。
シュンニョは書いています。
「ジャマイカに到着した私たちは、すぐによい知らせを耳にしました。
ジャマイカのキングストン空港で、OSHOはなんの問題もなく観光ビザを手にいれたというのです。
ですが悪い知らせもありました。
OSHOの飛行機が着陸してから十分後、アメリカ海軍のジェット機が、同じ飛行場に舞い降りたというのです。
なにかあやしい気配がしました。
アナンドは、ふたりの文官がジェット機から降りたち、滑走路を横切り空港の建物に入ってくるのを見ました。
アナンドはとっさにOSHOとその一行を待合室から出し、タクシーに乗せました。
ウルグアイでの私たちは、電話が盗聴されていたことを知っていました。
アナンドはこれについてOSHOに質問したことがあります。
―――どうしてみんなは私たちの電話を盗聴するのでしょう?
安上がりに精神的な指導を受けようとしているのでしょうか?
五分ほどアナンドとおしゃべりしてから、私は自分の部屋に入りました。
アナンドと共用することになっていたその部屋は、小さいけれどエアコンがきいていて快適でした。
私は戸棚をのぞきこみ、荷物をほどいてよいものかどうか迷いました。
それから鎮静剤を何錠か飲んで、14時間眠りました。
翌朝、朝食をとっていると、正面玄関の扉を力いっぱい叩く音が聞こえました。
窓から見ると、外にはとても背の高い黒人が6人いました。
カーキ色の半ズボンをはいて長い棍棒を手にした彼らは、自分たちを警官だと言いました。
アナンドが彼らと話すために出て行きました。
彼らは怒っているようでした。
昨日ジャマイカに入国した者は、全員パスポートを持って出てくるようにと言っています。
私たちはみな正式の入国ビザを持っています。
「なにが問題なのですか」とアナンドは彼らに尋ねました。
すると彼らは「おまえたちはこの島を出なければならない、いますぐにだ!」と言いました。
警官たちが立ち去ったあと、アナンドは近くのホテルに滞在していたアループに電話し、そしてアループは、その家のオーナーである有名なテニス選手に連絡をとりました。
このテニス選手は政府の要人のなかに知り合いがいるので、この面倒な事態を解決してくれるだろうと思ったのです。
私たちにも、これはなにかのまちがいだと思われました。
それから2時間ばかり、私たちはそのテニス選手の友人で、私たちを助けてくれそうな人たちにつぎつぎと電話をかけました。「とても奇妙だ」そうした友人のひとりは言いました。
「電話で自分の名前を告げるたびに、相手の人は今日は外出しているという答ばかりが返ってくる。
今日はだれも事務所にも自宅にもいないみたいだ。
助けてくれそうな人はひとりとして連絡がつかない」
2時間後、警察が戻ってきました。
今度ばかりは私はほんとうに落胆しました。
警察は私たちのパスポートを取り上げ、ビザを取り消したのです。
幸運なことに、私たちはOSHOを警察の目に触れないところにかくまっていたので、彼は焼けるような暑さのなか、玄関先で立たされずにすみました。
警官たちはとても乱暴で、私が何度も嗅いだことのある恐怖の臭いを漂わせていました。
アメリカ、インド、クレタ島で出会った警官たちと同じように、彼らも自分たちが危険なテロリストを相手にしているとでも思いこんでいたのでしょうか。
「私たちはなぜ国内に出なければならないのですか」とアナンドが尋ねました。
「命令だ」という答が返ってきました。
彼女がさらに執拗に問いただすと「国家保安法に基づく命令だ」と言われました。
OSHOは日没までに国外に出なければならないということです。
私たちは飛行機も用意していなければ、次に訪れるべき国のあてもありません!
それでもジャマイカにはもういられません。
これ以上ジャマイカにいたらOSHOの身に危険がおよぶかもしれない、と私たちは感じていたのです」
「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」
(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)