OSHOは「インドに帰りたい」と言い、ワールドツアーは終わりを告げることになります。
OSHOの仕事(ワーク)はまだ終わっていません。それをインドで仕上げる必要があったのです。
OSHOは言いました。
「私はもう長いことはこの肉体を使えない。
肉体に留まることは大変な苦痛になっている。
だが、いまこのような状態であなたがたを置き去りにするわけにはいかない。
私の仕事(ワーク)はまだ終わっていない」
いよいよ最後の滞在地ポルトガルのリスボンを離れ、インドに旅立つことになりました。
シュンニョにとっては、OSHOとの最後の別れになるかもしれないときでした。
そのとき彼女に、ほんとうの錬金術的な変容が起こりました。
大きなチャッレンジにあったときにこそ、存在とともに進むことが試されるのでした。
シュンニョは書いています。
「OSHOはインドに帰りたいと言いました。
私たちはイタリアにいるニーラムに電話して、こちらに来てほしいと言いました。
彼女には、OSHOと一緒にインドへ帰って彼の世話をしてほしかったのです。
後にOSHOはニーラムにこう言いました。
「私はもう長いことはこの肉体を使えない。
肉体に留まることは大変な苦痛になっている。
だが、いまこのような状態であなたがたを置き去りにするわけにはいかない。
私の仕事(ワーク)はまだ終わっていない」
OSHOの出発の日が来ました。7月28日です。
その日、私たちは小さな玄関でOSHOが階段を降りてくるのを待ちました。
ミラレパがギターを奏で、私たちはハートが破れんばかりに歌いました。
これがOSHOとの最後になるかもしれないのですから、美しい別れにしたかったし、みじめな顔など見せたくありませんでした。
私はOSHOからたくさんの贈り物を受け取りましたが、そのひとつは、こうしてよろこび祝うことでした。
―――私はそれをOSHOに見てほしかったのです。
私の悲しみはものごとを深く受入れる気持ちへと変りました。
ほんとうの錬金術的な変容が起こり、私はこれまでにないほど踊りました。
こうした瞬間はまるで死のようです。
この一年のあいだ、私はなんとひんぱんにこうした瞬間を体験してきたことでしょう。
みんなと離れ離れになり、未知のただなかで、ひとりぼっちになるたびに、私は死んできたのです。
OSHOは、ニーラムに次のように言いました。
「木々を見てごらん。
強い風が吹きつけるとき、それは破壊的なもののように見える。
だがそうではない。
それは木や植物にとって挑戦のようなものだ。
木々がほんとうに成長したいかどうかを確かめるための挑戦だ。
強い風が吹きつけたあと、木々は大地により深く根を降ろしている。
あなたはこう思うかもしれない。
『この植物は小さすぎる。強い風が吹いたなら、根こそぎになってしまう』だがそうではない。
強い風が吹いたとき、植物がそれを受け容れたなら、
それは風に協調し、そして命は救われる。
救われるだけではない。
『そうだ、私は生きたい』と、これまでにないほど確信するだろう。
そうしたら、その植物はとてもはやく成長するだろう。
風による挑戦が、強大な力を与えてくれたからだ。
木や植物が風に協調せず、そして吹き倒されてしまっても、それを悲しむことはない。
たとえこの風に倒れなかったとしても、別の風に倒されていただろうから。
それには生きることへの深い渇望が欠けていた。
しかもそれは、存在(エグジスタンス)の法則を知らなかった。
存在とともに進むならば、それはあなたを守ってくれる。
あなたを破壊するのは、あなたの闘いにほかならない」
「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」
(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)