OSHOの最後の言葉

お釈迦さまの最後の言葉は「自灯明 法灯明」でした。

お釈迦さまが入滅するときに、いつもお釈迦さまに付きしたがっていたアーナンダが「師が亡くなられたあと、私たちはどうすればよいのでしょう?」と聞かれて答えた言葉が、その言葉だったと言われています。

「自灯明 法灯明」は、大般涅槃経に書かれている言葉で「自分を拠りどころとし、法を拠りどころとせよ」という意味だとされています。

OSHOの講話での最後の言葉は、「仏陀の最後の言葉は 『サマサティ』だった。覚えていなさい、あなたがブッダであることを――サマサティ」という言葉でした。

“RMEMBER, YOU ARE THE BUDDHA, SAMASATI”

というOSHOの声は、今も鮮明に私のなかにこだましています。

仏陀のサマサティという言葉は「正念」と訳されています。八正道の7番目の道です。
英語ではライトマインドフルネスと訳されたりもしています。

「正念」という言葉は、他の悟りを得た人々によっても、さまざまな言われ方がされています。
「観照」(ウィトネス)「覚醒」「気づき」(アウェアネス)「自己想起」(グルジェフ)「無選択の気づき」(クリシュナムルティ)などなど。

OSHOはサマサティを覚えていなさい、あなたがブッダであることをというメッセージとして残してくれています。

つまり、正念とは、自分がブッダであることを覚えていること。
仏教的な言葉で言えば、自分の本質である仏性を覚えていること、とも言えるかもしれません。
自灯明とは、自分の内なる仏性を拠り所とし、内なるブッダを拠り所とするということになります。

シュンニョによると、「この言葉を口にしたあと、彼の顔に不思議な表情が浮かびました。彼の一部が飛び去ってしまったかのようでした」と書いています。

OSHO自身も「不思議なことが自分に起こった」と、何度か口にしていたというのですから、そのときOSHO自身にもなにかが起こったのでしょう。

実際、そのあとOSHOの身体はさらに弱り、二度と再びブッダホール(毎日OSHOが講話をしていた)に姿を現すことがありませんでした。

シュンニョは語ります。

『The Zen Manifest (禅宣言)』 は、OSHOの最後の本になりました。
4月10日の講話の終わりに、OSHOは次のように語りました。
みんなを前にしてのOSHOの最後の言葉です。

「仏陀の最後の言葉は 『サマサティ』だった。覚えていなさい、あなたがブッダであることを――サマサティ」

この言葉を口にしたあと、彼の顔に不思議な表情が浮かびました。
彼の一部が飛び去ってしまったかのようでした。
彼は、自分自身の肉体との結びつきを失ったように見えました。
立ち上がるのもやっとのことで、歩くのも大変そうです。
彼がブッダホールを出てきたとき、私は彼の顔を見つめました。
不思議な表情で、まるで自分がどこにいるのかわからないようでした。

これは私の解釈にすぎません。私の理解が不足しているので、こんな言い方をするしかないのです。
その夜に和尚に起きたことを私が理解したことはありません。

車で部屋へ戻る途中、OSHOは私に「不思議なことが自分に起こった」と言いました。
「はい、私も気づきました」と私は答えました。
OSHOはあとにも何度か同じことを言いました。彼もまた、私におとらず不思議がっているようでした。
それでも彼が、起こったことについて私に説明してくれたことはありません。
数日後 、彼は「もう講話はできなくなったと思う」と言いました。

◆◆◆

それから数力月のあいだ、OSHOの身体はあまりに弱まり、ブッダホールに姿を見せることもでき なくなりました。

彼は部屋で休みました。みんなが彼の臨在に依存する度合は減ってきていました。
彼の臨在に助けられなくても瞑想できるようになってきたのです。
2、3年前の私たちだったら、混乱して、不安になっていたでしょう。
ですが、いまでは、毎日OSHOを目にすることなしに暮らすということを受け容れられるようになってきていました

 

「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」

(本書は絶版になっています。 お問い合わせはinfo@oejbooks.comまで)