なぜポジティブシンキングはうまくいかないのか?

いろんな本を読んでいると、ポジティブシンキングという言葉によく出会います。

それだけ私たちがネガティブな思考に陥りがちなのでしょう。

なぜ、それほど私たちはネガティブな思考に陥りがちであり、ポジティブシンキングが必要になってくるのでしょう?

ポジティブシンキングという言葉は、「思考が実現する」や「引き寄せの法則」などの影響なのでしょうが、仕事やビジネスで成功するためであったり、この人生を喜びに満ちて、幸せに生きるために必要だという文脈で使われることが多いようです。

人生には辛いことや困難なこと、悲しいことなども避けては通れないわけで、仕事やビジネスなどでも、くじけそうな場面はしばしば起こりがちです。

そういうときには、どうしてもまわりのせいにしたり、自己否定的になって、考えもネガティブになって落ち込んだりしがちです。

そうしたときに、落ち込んでいないで、自分を奮い立たせてポジティブなろう、そうすれば成功して幸せな人生を送れるよ、というのがポジティブシンキングの趣旨のようです。

しかし、どういう考えを持つか、どういう感情を持つかということは表層の出来事です。

そもそも、そういうネガティブな思考や感情を持つのは、もっと根が深いところにあるよ、ということに気づかせてくれるのが、このOSHOの言葉です。

もし、私たちが生そのものにネガティブな思考を生まれたときから吹き込まれ、「生きることは罪だ、喜びは罪だ、あなたはいまのままでは罪悪人で救われない」というふうに教え込まれていたとしたらどうでしょうか?

生まれたときから両親やまわりの人から、「あなたは愛されていない、生きている価値がない」と言われつづけていたらどうでしょう?

どんなに表面的な思考のレベルでポジティブになろうとしても、結局は人生や自分の価値にネガティブにならざるを得ないのではないでしょうか?

そのように生を否定的にとらえるようにしてきている根本は、これまでの宗教の教えにあると看破したのがOSHOです。

「生に否定的な、あらゆる態度に完全に反対する」という、OSHOにしてみれば、生を否定的にとらえる宗教の側面を徹底的に批判するのは自然なことです。

そして、どのように生に溢れるかということのヒントを、ここで語ってくれています。

そのようにユーモアのセンスと愛と遊び心があれば、わざわざポジティブシンキングと言わなくても、そしてたとえネガティブな思考があったとしても、生に溢れて生きていくことができるでしょう。

OSHOのすべての教えは「生に溢れる」ためのものであり、「深い愛に溢れた質と遊び心を持つ」ためのものといえるでしょう。

OSHOは語ります。

 生に溢れるということは
 ユーモアのセンスを持つことだ
 深い愛に溢れた質と遊び心を持つことだ

 私は生に否定的なあらゆる態度に完全に反対する
 今まで、神に敬意を払うことは生を否定することだった

 それを生を肯定する態度に変えるには
 遊び心とユーモアのセンスと愛と尊敬の念
 そのすべてが合わさることが必要だ

 生そのものより神聖なものはない
 だから生に対する敬意は
 神に対する唯一の敬意だ

  ゴールド • ナゲッツ OSHO

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