私たちの生の旅は、どこからどこから始まって、どこで終るのでしょうか?
OSHOの墓碑には “Never Born, Never Died, Only Visited this Planet Earth between Dec.11 1931 to Jan. 19 1990″ と書かれてあります。
”Never Born, Never Died”「生まれることもなく、死んだこともない」とはどういうことなのでしょう?
生とは何か? 死とは何か? なぜ生まれてきたのか? どうして人は死ぬのか?
理解したいという欲求がいつもそこにはあります。
マニーシャの明日の週末、来週の週末に開催されるワークショップに先立ち、昨日はマニーシャのナイトイベントが横浜でありました。
そこでマニーシャは
「私たちの生の旅は、誰もが歩く道です
そして誰もが死んでいきます。
誰もそこからかえって来た人はいないし、あの世から手紙やはがきを送ってくれた人もいない。
いつ、どこで死がやってくるかは誰にもわからず、それは明日かもしれないのです。
誰もが一人で死んでいきます。
死ぬときには、全ての愛する人を後に残し、それまで生きてきた人生でのものごとはすべて後に残していくことになります。
そこには恐怖があります。
しかし、その死ことを知れば、私たちが今どう生きるのかという生き方が変わります。
生と死はひとつです。
死は未知なるものです。そこには痛みを伴うものかもしれません。物質的なものは何ひとつ持っていくことはできません。
死のための地図もありません。
その死に対してどのような準備をすればいいのでしょうか? その恐怖をなくすにはどうすればいいのでしょうか?
両親や、愛する人たちが死の旅に出て行くときには、どのように助ければよいのでしょか?」
と語りました。
若い時期には生きることに夢中ですが、あるときマニーシャは死に興味を持つようになり、生きることと死ぬことについてのOSHOの講話から、そのエッセンスを集めて、編集しました。
それが「死について 41の答え」です。
そのなかでマニーシャは「チベットの死者の書(バルド•トドル)」はチベットの世界への最大の貢献だ」とOSHOが話しているのを耳にします。
「だが、それはすでに2500年前のものなので、現代にあったものにする必要がある」と。
そこでマニーシャは、OSHOのバルドについてのすべての講話などからOSHOのヴィジョンをもとに2年の歳月をかけて作り上げたのが「OSHOバルド」です。
OSHOバルドのワークショップでは、私たちが死にさいして使うことのできる瞑想のプロセスとテクニックを体験し、探求していきます。
それは同時に、私たちの日常での瞑想のプロセスを深めていくために使っていくことのできるものです。
というよりも、日々の瞑想を深めていくことこそが、死についての準備になるのです。死ぬ前にちょこっと唱えればよいというものではありません。
もちろん、その瞑想のテオクニックを知ることだけでも、死んでいくにさいして大いに助けにはなります。
とはいえ、このテクニックは日々の瞑想を深めていくためにも大いに役に立つものです。
また、このテクニックは同時に他の人が死に直面しているときにもサポートしていくことができるものです。
このOSHOバルドは、世界ではじめて日本で開催されます。
この瞑想を知れば、人生が変わるだけのインパクトがあるものだ、とマニーシャは語っています。
マニーシャによる「OSHOバルド」は、日本での開催は今回で最初で最後の機会になるかもしれませんので、興味のある方は、この機会をお見逃しなく。
日本でのマニーシャのワークショップのスケジュールはこちらから
http://aura-soma.jp/workshop/maneesha.html
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