悟りを得た人が死について語ると

人生の中で、誰にとっても平等に訪れ、絶対に避けることができないもの。

でも、誰もがそれを目にしているのに、それを避けようとして、それについて語ることはタブーになっているもの。

それは必ず人には起こるものなのに、自分には起こらないのではないかと、何となく思ってしまっているもの。

それについて体験した人は、それについて語ることができないもの。

それは何でしょう?

来年1月に出版されるOsho の「死について 41の答え」はその死についてのすべてを語ってくれている本です。

なんといってもすごいと思うのは、本書でOshoが次のように語っているところです。

「私はただ、死は存在しないという
 自分の体験を表現して、
 分かち合っているだけだ。
 それはチャレンジだ。
 あなたを説得しようという努力ではない。
 それは探求しに行くべきチャレンジなのだ」

つまり、Oshoは「死は存在しないという自分の体験を表現して、分かち合っているだけだ」というのです。

死は誰にも訪れ、それは避けられない、ということはいつも見ているのに、それが存在しないって、どういうこと?

しかも、それはOsho自らの体験から語っている。

果たして、死について、そのように体験から語ることのできる人って、この世にいるのだろうか?

果たして、そういうことが可能なのだろうか?

Oshoがいつも語っていることは、
「私の言葉を信じないように。
 それはあなたたちにとっては仮説なのだから、
 自分で試してみて、検証しなさい」
ということです。

言葉を聞いて信じ込んでわかったつもりになるのは簡単です。
でも、それが自分の体験と理解にならない限り、実際には役に立つことはありませんし、その理解を本当に生きることにはなりません。

とりわけ、死に対しては、いかなる知識も役には立たない、と言えるのではないでしょうか。

ですから、この本でOshoが語っていることは、まさに、個々が「探求しに行くべきチャレンジ」としなさいということです。
それが真実かどうかは自分で体験し、検証しなさい、ということです。

しかし、そのことを自分自身のものとして知ることができれば、そのとき永遠の命を手に入れることにもなる、と。

それはOshoの語る、生まれもせず、死にもしないものです。

そして、この本ではOshoはそのことについて語るだけではなく、そのことを実際に体験するためのヒントやツールをいくつも与えてくれています。

もし死について、自ら探求し、そのチャレンジをしたい人にとっては、この本は、生涯にわたる座右の書となるでしょう。