もっと気づくようになるために(1)

Oshoの言葉

もっと気づくようになるために(1)

「最愛なるマスター
 もっと気づくようになるには
どうしたら良いでしょうか?」

パンカジ、
もっと気づくようになるには、

もっと気づくようになることだ。
気づくようになるには
それ以外に方法はない

それはシンプルなプロセスだ
あなたが何をしていても
まるでそれが
生死の問題であるかのように

あなたの頭上に
剣がぶら下がっているかのように

意識的に行いなさい。

インドに古くから伝わる物語がある。

ある偉大な聖者が、彼のトップの弟子を
その若者に欠けていた何かを学ぶために
ジャナク王の宮廷に送りました。

その若者は言いました。
「あなたが私に教えられないのなら、
この人、このジャナクという人が
私に何を教えられるというのですか?
あなたは偉大な聖者です、
彼はただの王です。
彼が瞑想や気づきについて、
何を知っているというのでしょう?」
          Osho

これは、パンカジというOshoの弟子からの質問です。

この質問は、多くの人にとっての質問でもあるでしょう。

それほど気づくことが大切ならば、
もっと気づくようになるためにはどうしたらよいのだろう?

それに対するOshoの答えは、

もっと気づくようになるには、
もっと気づくようになることだ

え〜〜?!。。。

それって答えになってるの?
って思いますよね?

気づくようになるには
それ以外に方法はない

その気づくということが、
マインドのものであれば、
メソッドがあるのですが、

その気づきは
マインドを超えた気づきのことを言っているので、
そこには、メソッドはもはやないのですよ。

ただ、気づくしかない。

そのことをOshoはここで明確にしています。

じゃぁ、その気づきとはどのようなものなのか?

それはシンプルなプロセスだ
あなたが何をしていても
まるでそれが
生死の問題であるかのように

あなたの頭上に
剣がぶら下がっているかのように

意識的に行いなさい

もし、そのような気づきを経験したことがあるなら、
それがどういう気づきなのかがわかるでしょう。

その気づきは、マインドを超えた気づきです。

シュンニョは、バイクで事故にあった時に、
その気づきを得た時の経験を、次のように語っています。

「海岸線でコーナーを曲がるとき、
一陣の風が私たちのオートバイを襲いました。

オートバイは私たちの下で横だおしになり、
私は自分の顔がサルベッシュの背中を滑り落ちるのを感じました。
私は道路のまんなかにうつぶせになって倒れていました。

口のなかに血の味がしたので、舌で歯を調べてみます。
歯は全部ありました。大丈夫です。
顔と鼻から血が流れ、両手に切り傷があり、
ズボンは破れ、靴が片方見当たらず、
足首は腫れています。

それでも意識は明瞭でした。
こんな事故ははじめてでしたので、
私は自分の感じている明晰さと落ち着きに驚きました。

サルヴェッシュは、血だまりのなかにうつぶせになっています。
頭から血が出ていました。
私は彼のからだを見て、
どうしていいかわかりませんが、彼は大丈夫だと感じました。
次に彼の名前を呼びましたが、彼は意識を失っています。

私は、自分がまわりの人たちに指示をしているのを観ていました。
あなたは警察に電話して、あなたはオートバイを片付けて、
あなたは別荘に電話して‥‥‥という具合いです。
私は別荘の6桁の電話番号を覚えていました。

私たちは病院へ行きました。
サルヴェッシュは病院についてからも、
40分間意識を回復しませんでした。
それでも私には、
彼は大丈夫だという確信がありました。

その晩、私は自分の内側にある明晰さに触れました。
それは価値ある体験でした。
https://oejbooks.com/2015/05/16/accident-shunyo/

それでも意識は明瞭でした。
こんな事故ははじめてでしたので、
私は自分の感じている
明晰さと落ち着きに驚きました。

シュンニョは死の瀬戸際の経験をして、突然意識が目覚めたのです。
「気づき」が目覚めた瞬間です。

その晩、私は
自分の内側にある明晰さに触れました。

それは価値ある体験でした。

その「自分の内側にある明晰さ」が気づきです。
その気づきに触れることは、価値ある体験です。

とはいえ、その気づきを得るために、
毎回そのような事故を起こすわけにはいかないので、

Oshoは、インドに古くから伝わる物語をしてくれています。

続きは、またあした。

えたに