「家族に対する責任」シリーズ(7)

「家族に対する責任」シリーズ(7)

Oshoの言葉:

私は言った

「僕たちの間に何かが起こったのです。
彼は僕を愛し、僕も彼を愛しています。
今ではどんな関係性もありません。
僕は、彼の孫ではないし、
彼は僕のおじいさんでもありません。
僕たちは、
ただ二人の友人というだけです。

一人は歳とっていて、一人は若い、
という、それだけです」

ひとたび愛を味わえば、
あなたは責任という言葉を
完全に落とすだろう。

そうすると、
「愛の責任とはなんですか?」 という

あなたの質問は
単に見当違いなものになる。

愛は、責任を必要としない
責任は愛を知らない。

そして私はあなたに
どんな責任も教えない

なぜなら私はあなたに、
どんな架空の名前の犠牲にも
なってほしくないからだ

できるだけ自然に、
実存的に生きてほしい

仮説に従って生きてはいけない

道徳的な規則に従って
生きてはいけない

マヌ(の法典)やモーゼ(の十戒)に
従って生きてはいけない

自分のハートに従って生きなさい
そうすれば、あなたがすることは
何であれ正しいものとなる

決して、誰にも、
何が正しいかなどと聞かないように

ハートのない人間だけが
そのようなことを尋ねる

あなたのハートが自分の質問に
応答するようにしなさい

あなたの答えは、どんな聖典、
どんな聖なる伝統から

やってくるものではないだろう
          Osho

Oshoの祖父はOshoのことをこよなく愛していました。

そしてOshoも祖父をこよなく愛していました。

その二人の関係を見て、Oshoの家族の人たちは、

「あなたたちは、一体どういう関係なの?」って、

からかって聞いたりしていました。

そこでOshoが言ったのが、この答えです。

私は言った
僕たちの間に何かが起こったのです
彼は僕を愛し、僕も彼を愛しています。
今ではどんな関係性もありません。
僕は、彼の孫ではないし、
彼は僕のおじいさんでもありません。
僕たちは、ただ二人の友人というだけです。

Oshoのおじいさんは、Oshoのよき理解者でもありました。

おじいさんは朝から晩まで野良仕事をして疲れていることがありました。

そこで、ときどき、Oshoはおじいさんの足を揉んであげたりしていたようです。

そのとき、Oshoはおじいさんに言っていました。

僕は責任からやっているんじゃないよ。
世界の誰にも、僕は責任なんてないんだから。
僕はおじいちゃんを愛しているから
足をマッサージしているだけだよ。

でも、嫌になったらやめるからね。
そのときは、もう少し
マッサージしてとか言わないでね。

そのように言われても、
続けたりしないからね。

僕は喜びからするだけで、
あなたが僕のおじいちゃんだから
するわけではないよ。

同じことを乞食にだって、
知らない人にだってするよ。
それはただ僕の愛から
するだけなんだから」

って。

Oshoが語っていることは、Osho自身がそのように生きてきていたからなんですね。

理論とか概念とか道徳について語っているわけではなくて、

彼はまさに、ここに話している言葉のままに生きていたのです。

そういう意味で、Oshoは、自然に、実存的に生きていたことがわかります。

今日は、ここまでにします。

えたに