「家族に対する責任」シリーズ(9)

 

「家族に対する責任」シリーズ(9)

Oshoの言葉:

愛と責任を切り離すことは
単に馬鹿げている

しかし世の中の道徳体系は
それを分離している

彼らの責任についての考えは、
存在に対応するものではなく、
彼らの論理に対応しているにすぎない

そして論理とは人間が作り出したものだ
ということが理解されなければならない

それは草原で成長するものではない
それは、山や星や赤ん坊のようでもない
それは単なるマインドの投影なのだ

そしてそれは何世紀もの間
人類を支配してきた

それは多くの貴重な可能性、
潜在的可能性を破壊してきた

それは、人生の神秘への
多くの扉を閉ざしてしまった

それは人間の光に対する、意識に対する、
至福に対する、真実に対する目を、
ほとんど見えなくしてしまった
          Osho

Oshoはここで、
実存的であることの大切さを語っています。

実存的であるとは、
存在とともに生きるということです。
存在とともに生きるとは、
自然に生きるということです。

ところが、
現代社会の中で、私たちは、
その自然を見失ってしまいました。

なぜなら、私たちは
マインドしか見えなくなってしまったからです。
マインドから生きることをしなくなり、
マインドだけを評価するようになりました。

教育はすべて、マインドの教育になっています。

そのなかで、私たちはハートを見失ってしまったようです。

ここでいうマインドというのは、ここでOshoが言う論理のことです。

彼らの責任についての考えは、
存在に対応するものではなく、
彼らの論理に対応しているにすぎない

ここでは、責任に基づいて生きるとは
論理(マインド)によって生きることで、
存在に対応していない生き方になってしまう、
とOshoは言っているわけです。

そして論理とは人間が作り出したものだ
ということが理解されなければならない

あたり前のことのように思いますが、

いかに私たちがマインドの投影の世界に生きているかということに気づかされます。

マインドの投影の世界とは仮想現実の世界です。

それは映画マトリックスで描かれた世界です。

映画の場面で、ネオは、
青いピルを選ぶのか、
赤いピルを選ぶのかの選択を迫られます。

真実の世界、現実の世界を知りたいのか、
それとも仮想現実の世界のまま生きていきたいのか、
という選択です。

マインドの投影の世界に生きることによって、
私たちは多くのものを失ってきているということに
改めて、気づかされます。

マインドの投影の世界に生きることによって、
私たちが失ったものに次のようなものがある
と、Oshoは言います。

多くの貴重な可能性、潜在的可能性
人生の神秘への多くの扉
人間の光に対する、意識に対する、
至福に対する、真実に対する目。

それらを取り戻すには
どうすればよいのでしょう?

それについては、またの機会に。

えたに