あなたは眠りこけている

Oshoの言葉

あなたは眠りこけている

普通、人は眠っている。
あなたが目覚めていると
思っている時でさえ、

あなたは目覚めていない。

道を歩きながら、
あなたは完全に目が覚めているー
あなたのマインドの中で。

だが、仏陀の視点から見ると、
あなたは眠りこけている、

なぜならあなたの内側では、
千と一つの夢や思考が
騒がしくしているからだ。

あなたの内なる光は
とても曇っている。

それは、一種の眠りだ。

あなたは目覚めていない。

思考でいっぱいの
マインドは目覚めていない、

目覚めることができない。

考えや思考を落とし、
その周りの雲を
消散させたマインドだけがー

そして太陽は明るく燃え、
空には何ひとつ雲がないー

そのマインドこそが知性を持ち、
目覚めているマインドだ。

知性とは、
今ここにいることの能力だ。

あなたが過去あるいは
未来にいればいるほど、

あなたの知性は低下する。

知性とは、今ここにいる
ことの能力であり、

今、この瞬間にいて、
他のどこにもいないことだ。
そうなればあなたは目覚めている。
          Osho

私たちは、目覚めていると思っていながら
眠りこけている。

それが実態なのですが、

自分は目覚めている、
と思っている限り、
そのことがわかりません。

本当に目覚めた人、
仏陀やOshoのような人に
指摘してもらうまでは。

とはいえ、そのことをマインドで
わかろうとしても、
わからない、

というところがジレンマです。

なぜなら、

>あなたは目覚めていない。
> 思考でいっぱいのマインドは、
>目覚めていない、

> 目覚めることができない。

ということだからです。

だから、マインドでわかったとしても、
それはマインドの夢の中で、
わかったという夢を見ているだけ、

ということになるからです。

考えや思考を落とし、
マインドを目覚めさせ、
知性をもたらす以外には、
なすすべはないわけですが、

そのためには、結局は、

「今ここにいる」
というところに戻るしかなくなります。

私たちの眠りは深いのです。

夢を見ている上に、さらに夢を見ているのですから。

Oshoは

「目覚めとは、夢が夢だと知ることだ」と語っています。

しかし実際のところ、夢の中に生きている限り、
何が本当の目覚めかを知ることさえできません。

荘子の話で「胡蝶の夢」という有名な話があります。

荘子が夢の中で胡蝶(蝶)となって
ひらひらと飛んでいたところ、
目が覚めて、

はたして自分は蝶になった夢を見ていたのか、
それとも今の自分は蝶が見ている夢なのか?

夢から

夢から覚めた自分が現実なのか、
それとも、
夢から覚めたと思っている
自分の方が夢なのかが

わからなくなってしまった、
という説話です。

私たちは夢の中を生きているのでしょうか、
それとも現実を生きているのでしょうか?

もし夢の中に生きているなら、
本当の現実を生きるためには、
まずその夢から目覚める必要があります。

以前、
デカプリオと渡辺謙が出演していた、
『インセプション』という映画を見たことがあります。

その映画の中では、登場人物たちが、
現実の世界と、3層になっている夢の世界の中で
話が展開されていくサスペンス映画です。

映画の中のさまざまな場面が、
登場人物の夢の中で起こっているのか、
現実で起こっているのかがわからなくなってしまうような映画です。

登場人物が、
一つの夢の中の出来事から覚めたと思ったら、
それはまた別の層の夢の中の場面だったりして、

よほど気をつけて見ていないと、
その場面が、現実の出来事なのか
夢の中の出来事なのかがわからなくなってしまいます。

それはまるで、この現実の世界を象徴しているような
とてもリアルな感じが残りました。

私たちが生きている現実も、
実はこのような、
いく重もの夢が重なっているだけなのかもしれない
と思わせるリアルさがありました。

その中で、主人公は
自分の活動している世界が、
夢の世界なのか現実の世界なのかを判断するために、コマを使います。

コマが回り続けていれば夢の中、
途中で止まれば現実というふうな設定です。

なぜなら、夢なのか現実なのかを判断する基準がない限り、
自分が夢の中にいるのか、現実にいるのかが、わからないからです。

では、私たちはこの世界に生きていて、
今生きている世界は現実なのか夢の中なのか、
それを判断する基準はどこにあるのでしょうか?

私たちが、夢から覚めるためにできることはなんでしょうか?

もし今私たちが生きている世界が、
仏陀の言うように夢の中なら、

自分で目覚めることはできないと思いました。

そこで、私が夢から目覚める手段として考えたのが、
仏陀のように悟りを得た人に出会うことでした。

それが、私にとってはOshoでした。

その目覚めるための手がかりが、
Oshoの言葉というわけです。

そういう意味で、

私にとって、Oshoの言葉は
目覚まし時計のようなものです。

今日はここまでにします。

えたに