ハラと至福について その1

Oshoの講話
ハラと至福について その1

Oshoの言葉

ハラを通過するときだけ
あなたは至福を感じる。

だから、その原因が何であろうと、
ハラを通過するときはいつでも、
あなたは至福を感じる。

戦場で戦っている戦士はときとして
ハラを通過することがある。

だが、現代の戦闘員は違う。
彼らは戦士などではまったくない。
都市に爆弾を投下する人間は眠っている。
彼は戦士ではない。
彼は戦闘員ではない。
つまり彼はクシャトリヤではない。
戦うアルジュナではないのだ。

時として、死の瀬戸際に立たされたとき、
人はハラに投げ戻されることがある。

剣で戦っている戦士にとって、
いかなる瞬間にも死はありうる。
いつ自分がいなくなってもおかしくはない。
だから剣で戦っているときは、
考えることはできない。

考えたりしたら、自分の命はないのだ。
考えずに行動しなければならない。
考えるには時間が必要だからだ。

剣を持って戦っていたら、
考えることはできない。
考えたりしていたら、
相手が勝ってしまい、
もはやあなたはいない。
そこには考える時間はない。

マインドには時間が必要なのだ。
そこに考える時間がなく、
考えることが死を意味するため、
意識は頭から落ちる。

意識はハラに行き、
戦士は至福の体験をする。

戦争にたいへんな陶酔があるのは
そのためだ。

セックスと戦争が二つの陶酔である
理由がこれだ。

ハラを通り抜けるからだ。
何かの危険にさらされて、
あなたはハラを通り抜ける。
        Osho

ここで Oshoがハラと言っているのは、
日本では丹田の意味に近いと思います。

というよりも、ハラと丹田は、
同じエネルギーの二つの側面のように思います。

ハラについての別の側面も知っていただきたくて、
ここにご紹介しておきます。

今日はここまでにします。

えたに