4つの次元

Oshoの言葉

行為は助けにならない
行為は再び同じ轍になる

行為ではなく
存在のみがあなたを変える

だから何度も何度も失敗すると
そのときはじめて

『行為が私をどこかへ
導くことはけっしてない』
という洞察が生まれる

剣があなたを斬る日がくる
         Osho

行為ではなく、存在のみがあなたを変える」

ということについて。

この言葉を最初にご紹介したのは、

この言葉が内側と外側の融合という、
「ゾルバ・ザ・ブッダ」のテーマにふさわしいと思ったからです。

この激動の世界のなかでどのように生きていけばよいのか?
この世界に何ができるのか?

ということを考えたときに、

この「行為ではなく、存在のみがあなたを変える」
ということが鍵になると思うのです。

この言葉を理解するには、Oshoの言う、
「4つの次元」について理解しておくことが助けになります。

Oshoはこの世界には4つ次元があると語っています。

これまでOAUのメルマガを読んでこられた方は、
何度かそのことについて触れていますので、
すでにご存知だと思いますが、

はじめてOshoの言葉に触れる方もおられると思いますので、
簡単に説明しておきます。

4つの次元というのは、

この肉体的物質的な次元(1次元)
思考や感情の次元(マインドの次元)(2次元)
愛と魂の次元(3次元)
存在の次元(4次元)

の4つです。

それらの次元はバイブレーション(波動)の違いです。

1次元が一番波動が粗く、
2次元、3次元と次元が上がるにつれて、
波動が細かく、精妙になっていきます。

1次元は肉体的、物質的な世界で、目に見える世界です。

2次元は思考や感情で、それよりも波動が細かくなります。
それでも脳波や fMRI などさまざまな測定器で、
それを読み取ることはできますし、

ある程度読み取ることもできるので、肉眼には見えないですが
まだ見える世界です。

さらに波動が上がると現代の科学では感知できない世界、
愛や魂と言われる、いわゆるスピリチュアルの世界になっていきます。

物質的な考え方の人は、このような目で見ることができず
感知できない世界は、存在しないと考えたりします。

要するに、魂なんていうものは存在しない。
愛でもなんでも金で買える。
セックスこそが愛だと考える人ですね。

1次元と2次元で生きている人には、
3次元の世界は見えないので、
そのように考えることも当然です。

例えば、アリが2次元の平面を歩いているとします。
アリも含めて次元だと仮定します。

すると、その目の前に、突然人間の足が現れます。
アリの住む2次元の世界では、3次元の人間の世界は見えません。

3次元の世界を知っていれば、
人間が近づいてくるのは見えるのですが、
2次元に住んでいる限り、3次元の世界は見えない(存在しない)のです。

3次元の世界からは、2次元のアリの動きはお見通しなのですが、
アリの2次元の世界からは3次元の動きはわからないので、
突然人間の足が目の前に出現します。
場合によっては、踏み潰されてしまうこともあるでしょう。

アインシュタインの有名な言葉のひとつに、

「私たちが直面する重要な問題は、
その問題を作ったときと同じ思考のレベルでは解決できない」

という言葉がありますが、

思考のレベル(次元)を一つ上げると解決できるように、
私たちが生きる次元を上げることで、
別の世界が見えてきます。

それはともかく、

3次元の愛と魂の世界から、
さらに波動のレベル(次元)が上がると「存在」の世界になります。

この存在の世界は五感で感知することができず、言葉に表すことさえもできません。
グルジェフはそれを「第4」(トゥリヤ)と言っていた、とOshoは語っています。

その「第4」(トゥリヤ)が「存在」の世界です。

これはいろんな言い方があって、
「空」「無」「仏性」「神」「タオ」「0ポイントフィールド」
などなど、さまざまな言い方がされています。

これらのことを前提に、先ほどのOshoの言葉を考えると、

行為というのは、1次元と2次元の世界です。

そして存在は4次元の世界になります。

1次元と2次元の世界を生きている限り、
物事は同じことの繰り返しです。

歴史は繰り返す、という言葉がありますが、
1次元と2次元の世界を生きている限り、
それはどこにも導かないのです。

「行為が私をどこかへ導くことはけっしてない」のです。

ちょっと長くなりそうなので、今日はここまでにします。

えたに