寂しさへの瞑想シリーズ その10

寂しさへの瞑想シリーズ その10

Oshoの言葉

ひとりでいることは、
本当に最大の奇跡だ。

それは、あなたは今、
どの教会にも属さず、

どの組織にも属さず、
どの神学にも属さず、
社会主義、共産主義、ファシスト、
ヒンズー、
キリスト、ジャイナ、
仏教などの
どのイデオロギーにも
属さないということだ。

あなたは所属していない。
あなたはただある(存在する)だけだ。

そして、あなたは
自分の定義できないもの、

言い表せない現実を愛する方法を学んだ。
あなたは、自分自身と一緒にいる方法を
知るようになった。

             Osho

Oshoがここで話しているのは、

一人でいるとはどういうことか
ということについての定義です。

それが瞑想の中で体験することであり
そのような人の生き方でもあります。

Oshoがワークしていた時代
Oshoの弟子になるときには、

赤い服を着て、マラ(Oshoの顔写真の入ったペンダント)を

首にかけなければなりませんでした。

マラはいつも肌身離さず身につけて、
それがOshoとともにいるという感覚を
サポートしてくれました。

それはともかく、世間から見れば、それは明らかに異様な姿であり、

そこかの新興宗教に属しているヒッピーのようないでたちになってしまいます。

そこでOshoがやっていたことは、
それまでの社会で身につけた
アイデンティティ(自己同一化)を
剥(は)がすことでした。

それは一人になるためのものでした。

しかし逆に、無意識でいると、

これまでのコミュニティから別のコミュニティに属することになるという危険もありました。

しかし、それも一つの助けにはなりました。
これまでの価値観から離れて、
これまでの洗脳から離れて、
脱洗脳の期間が必要だったからです。
新しい価値観に馴染む必要がありました。

Oshoがやっていたことは、
ある意味で、徹底的な脱洗脳でもありました。
これまで私たちが教育や
社会の常識などによって身につけた
条件付けや信念に気づき、
それから自由になることでした。

ひとことでいえば、
自分のマインドにある洗脳に気づく、
ということでもありました。

ひとりあるということは、
そのような社会に属することをやめ、
自分のそれまでのアイデンティティからも離れ、
それまで洗脳されてきたマインドからも離れ、

ただひとりあることができるように
ということでもあったのです。

今日はここまでにします。

えたに