瞑想はマインドの努力では全くない

スマートフォンのアプリで受け取ることのできるOSHOからのショートメッセージに、”GREAT THOUGHT ” というものがあります。

今日はその”GREAT THOUGHT “からのOshoのメッセージです。

Oshoからのメッセージ。

瞑想はマインドの努力では全くない
本当の瞑想は、全く努力ではない

本当の瞑想はマインドがしたいようにまかせている
それが何をしようが、どんなじゃまもしない
ただ、注意深くしている、
目撃者のままでいる
マインドは沈黙する

しだいに、静かになる
ある日、去ってしまう
あなたはひとりとり残される
           Osho

よく誤解されるのは、瞑想とマインドは対立するものだという考えです。

それは禅の「無心」(No Mind)ということから来ています。
無心であるためには「雑念を払わなければならない」と思ってしまいます。

でも、雑念を払おうとすることそのことが無心であることと矛盾しています。
なぜなら、「雑念を払おうとすることそのこと」がマインドのしわざで、「雑念」なのですから。

ですから、雑念を払おうとすればするほど、雑念でいっぱいになってしまいます。

また「努力」するということもマインドの仕業です。
努力している限り、それはマインドが努力しているのです。

マインドの機能は、社会に生きていく上ではとても役に立つものです。
瞑想はそのマインドに反対するものではありません。
ただ、瞑想するためにはマインドは必要ない、というだけです。
瞑想にとってはマインドはじゃまなだけです。
マインドは静かでいてくれればいいのです。

瞑想は、マインドとは別のものだというだけです。
瞑想を始めると、頭の中がマインドや思考でいっぱいになったように感じます。
それは瞑想で心が静かになることで、今まで気づかなかったマインドに気づくようになるからです。

それまではいろんな雑念や思考に紛れていて、そのマインドがあることさえ気づかなかっただけなのです。

なので、 本当の瞑想は、マインドがしたいようにまかせていて、マインドが何をしようが、そのマインドのじゃまもしない ただ、注意深くしている、目撃者のままでいる ということです。

そうすることで、マインドは沈黙するようになります。
しだいに、静かになっていきます。
そしてある日、去ってしまうのです。
そのようにして、あなたはひとりとり残されることになります。

その結果、努力なく、瞑想が自然に訪れるようになるのです。

Enjoy the Thought. Have a nice day! 

えたに