瞑想とは何か?

Osho の言葉

瞑想とは何か?

それは何かについて瞑想する
という意味ではない

英語の言葉は誤解を招く

英語には、
仏陀の言葉であるサマサティを

正確に翻訳するのに
ふさわしい言葉がない

それは瞑想、正しいマインドフルネス、
気づき、意識、油断のなさ、注意深さ、
目撃すること、などとして
翻訳されてきたが、

どれひとつとして
サマサティの質をもつ単語はない

サマサティとは、意識はあるが、
どんな内容(コンテンツ)もない
ことを意味する

そこにはなんの思考も、
なんの欲望もなく、

何もあなたの中にかき乱すものはない

あなたは神や偉大なものについて
熟考していない……

自然やその美しさ、聖書、
コーラン、ヴェーダや、

そしてそれらの非常に重要な記述について
熟考していない

あなたは熟考していない!
あなたは、何か特別な対象について
集中しているわけでもない

あなたは、マントラを唱えていない
なぜならそれらはすべて
マインドのもので、

これらはマインドの内容物に
過ぎないからだ

あなたは、何もしていない!
マインドは完全に空っぽであり
あなたはただその空っぽさの中にいる

ある種のプレゼンス(存在していること)、
純粋なプレゼンス、
どこにもいくこともなく、
完全に自分の中にリラックスし、
安らいで、我が家にくつろいでいる

それが仏陀の瞑想の意味することだ
             Osho

これは、「坐禅」のところでOshoが語っていたことを
もう少し詳しく解説した言葉です。

Oshoの最後の言葉は、サマサティ(正念)でしたが、
そのサマサティの瞑想法ともいえます。

ちなみに、マニーシャは、サマサティプロジェクトという
ウエブサイトを作っていて、
そこでは、瞑想に関するOshoの言葉や、
彼女のライフワークである、ターミナルケアなどについて
語っています。

私もそれに付き合って、日本語のサイトを作りましたので、
もしよかったら、訪れてくだい。
Osho Sammasati 

マニーシャのオンライン瞑想プログラムはこちらから
「本来の自分に目覚める技術」

今日は、ここまでとします。

えたに