真実があなたを取り囲んでいる

Oshoの言葉

真実があなたを取り囲んでいる

真実があなたを取り囲んでいる、
あなたはその中に存在している。

魚が海に存在しているように、
あなたは真実の中に存在している。

神がゴールではない。
神は、今ここに在るものだ。

これらの木々、この吹いている風、
これらの動いている
雲、空、あなた、私 … …

これが神の正体だ。
      Osho

この話を読んだ時、

私がOshoの「道元」の講話を翻訳した時に語られていた、
ある好奇心の強い若い魚の話を思い出しました。

「僕は海のことを聞かされたのに、
その海について見たことがない」

すると、年とった魚が言いました。

「馬鹿なことを言うものではない。
我々は海の中にいるのだ。
我々が海なのだ。
我々はその中から生まれ、
その中へと消えていく。
我々は海の中の波にほかならない」

そこでOshoは語っています。

「これらは象徴的な言い方だ。
これらの言葉は実は、
あなたは宇宙の一部だ、
ということを言っている。

あなたは宇宙の中に波のように生じ、
いつの日にか宇宙の中へと
消え去っていく。

この宇宙は客観的なものではなく、
何か主観的なものだ。
それは、何かあなたの
最も内なる中心部と
結びついているものだ。

もしあなたが自分自身を
見出したとしたら

あなたは海のすべてを

空のすべてを、
そのすべての星とともに、
そのすべての花とともに、

そのすべての鳥とともに
見いだしたことになる。

自己を見いだすということが、
すべてを見いだすことだ。

そして自己を見逃せば・・・
宮殿を、帝国を、
膨大な富を持っていたとしても・・・

全ては無駄となる。

この真実、この存在、この神なるものの中に
私たちは存在していながら、そのことがわからないのです。

それがわかった人が、自己を知った人、悟った人と言われています。

白隠の坐禅和讃も同じことが書かれています。

 衆生本来仏なり
 水と氷の如くにて

 水を離れて氷なく
 衆生の外に仏なし

 衆生近きを知らずして
 遠く求むるはかなさよ

 譬えば水の中に居て
 渇を叫ぶが如くなり

 長者の家の子となりて
 貧里に迷うに異ならず

私たちは、すでに仏性があるのに、
それをどこか別のところにあると思って、
それを外側に求めていたりしています。

それはちょうど、水の中で喉が渇いた、
と言っているようなものであり、

お金持ちの家に生まれて、
自分は貧乏だと悩んでいるのと同じだ。

というわけです。

私たちが求めている真実。

それはすでに、私たちの中にある、
ということに気づくこと。

それが24時間の瞑想ということですね。

今日はここまでにします。

えたに