ハートとマインドの分離

Osho言葉、

思考のメカニズムは
頭のなかにあり、

覚醒のメカニズムは
ハートにある。

ということについて、見ていこうと思います。

以前に紹介したOshoの言葉の中に、

人間は、2つの中心をもって生まれる、ということが語られていました。

ハートと頭(マインド)です。

そこでは、Oshoは次のように語っていました。

あなたは、
自分のハートである本性と、

自分の頭である社会とに
引き裂かれている。

そして、確かに
あなたは生まれる――
誰もが生まれる――

このふたつの中心を持って。
それが難しさだ。

そのハートとマインドの分離ということが

私たちの苦しみの始まりと言ってもいいかもしれません。

というか、苦しみを作り出しているのはマインド(頭)なので、

私たちはマインド(頭)の世界だけを生きていて、
ハートを忘れてしまっていることが
その苦しみの始まり、と言っていいかもしれません。

そもそも、頭とは別に、ハートがあるのを私たちは意識することはあまりありません。

私の覚えている限り、学校でハートについて学んだことはありません。
頭を使うことだけを教えられます。

実際、私が頭とは別に、ハートというものがあるというを自覚したのは、Oshoに出会ってからのことでした。

まだ私がOshoのことをそれほど知らない頃、あるOshoのセラピストがリードしていたグループに参加したことがありました。

そのグループで、

「ハートを感じて」って言われた時のことでした。

そのとき私はどうしていいかわからなかったのです。

「ハートを感じるって、どういうこと?」

と頭で考えてしまったのです。

もっと正確にその時の状況を説明すると、

最初は「Osho」を感じて、とそのグループリーダーは言ったのです。

そのとき、まわりで啜り泣く声が漏れてきたので、

「何これ?」って思ったところで、

「Oshoのことを知らない人はハートを感じてください」

というような流れだったと思います。

いずれにしろ、Oshoのことを感じろと言われても、何のことかわからないし、

しかも「ハートって何?」という状態だったのです。

なので、どうしていいかわからない。

そこで、そのグループリーダーに質問したんです。

「あの、、ハートってなんですか?」

すると、そのグループリーダーは、

やりかけていたそのエクササイズを突然やめて、

みんなに言ったんですね(おそらく、70〜80人ぐらいの参加者がいた)

「じゃぁ〜、みなさん、こちらに集まってください。」

と言って、みんなをスピーカーがある部屋の片隅に集めて、

みんなが集まったところで、

「これからOshoのテープを流します」

と言って、Oshoの声が聞こえてきたのです。

当時は英語もそれほど聞き取れなかったので、そのOshoの話の内容に感動したわけではありません。

しかし、そのOshoの声を聞いた時、

何の感情が動いたわけでもないのに(悲しいわけでも、嬉しいわけでもないのに)、

左目から、涙が一筋流れたのです。

「え? 涙?」って思いながら、

そのOshoの声に深く共鳴するものを感じたのです。

その涙は、心の奥深くで共鳴したところからやってきたようでした。

その時が、

頭ではない、もう一つの中心に

気づいた最初の体験と言えるかもしれません。

今思えば、それが「ハート」との出会いでした。

ハートの存在に気づいたのはいつですか?

長くなりそうなので、今日はこれぐらいにします。

えたに