ハラと至福について その3

Oshoの講話
ハラと至福について その3

Oshoの言葉

普段の生活で、危険がないときは、
まず考えて、それから行動する。

が、危険にさらされると、
すべてのプロセスが逆転する。

まず行動し、それから考える。
考えることなく
最初にやってくるその行動は、

あなたを原初のセンターである
ハラに投げ込む。

危険に陶酔が伴うのはそのためだ。

車を運転していて、
速度をどんどん、
どんどん上げていくと、

突然、一瞬一瞬が危険であるような
瞬間がやってくる。

いついかなる瞬間にも、
命を失いかねない。

死と生が限りなく接近し、
二つの点がすぐそばにあり、

その中間に自分がいるという
そのサスペンスの瞬間、

マインドは停止する。
あなたはハラに投げ込まれる。

だからこそ、車、運転には、
つまり高速運転や狂気の運転には、
あれほどの陶酔があるのだ。

あるいは、ギャンブルで自分の持ち金
すべてを賭けたとき。

マインドは停止し、危険がそこにある。
次の瞬間には、あなたは
乞食にもなりかねない。

                                    Osho

Oshoの言葉には、さまざまな瞑想のヒントがあります。

その言葉を読むことで、
いつのどんな機会でも、瞑想にすることができます。

例えば、私がよくやっていた瞑想。

これはあまりお勧めできないですが、
これも一つの瞑想法です。

車の運転が好きな人なら、
おそらく経験があるのではないかと思います。

車を運転していて、
速度をどんどん、
どんどん上げていくと、

突然、一瞬一瞬が危険であるような
瞬間がやってくる。
いついかなる瞬間にも、
命を失いかねない。

死と生が限りなく接近し、
二つの点がすぐそばにあり、

その中間に自分がいるという
そのサスペンスの瞬間、

マインドは停止する。
あなたはハラに投げ込まれる。

これは、本当に瞑想になります。
マインドが停止する感覚がわかります。

最初は恐怖がやってきて、
それを超えていくと、
神経だけが張りつめる感覚があって、
さらにいくと、意識だけがあるような
透明な感覚になります。

一瞬の油断もなく、
気づいている感じです。

> あなたはハラに投げ込まれる。

この感覚まではまだわかりませんでしたけど、
瞑想の実験としては面白いです。

ドイツに行った時に、
アウトバーンを、時速制限なく走りたくて、
レンタカーでBMWを借りて走ったことがあります。

そこでわかったことは、
ドイツの車のソファーとかが硬めにできているのは、
高速走行のためなのだとわかりました。

日本車だと、180キロ超えると
車がふわふわしてきて、
アクセルを踏み込んでも、
それ以上スピードも出なくなってくるのですが、

ドイツ車(BMW)は200キロ出してもすごく安定しているのです。
アウトバーンなので、それぐらい出している車は普通にいるし。

でも、さすがに私の運転技術では、
230キロを超えると、瞑想状態になってきます。

そういう実験をしてみると、

> だからこそ、車、運転には、
> つまり高速運転や狂気の運転には、
> あれほどの陶酔があるのだ。

ということがよくわかります。

実は、Oshoもスピード狂で、
アメリカでは、ロールス・ロイスを運転していて、
スピード違反のキップを切られていたっていう
噂を聞いたことがあります。

シンニョの
「和尚と過ごしたダイヤモンドの日々」
には、

和尚があまりスピード出すので、
みんな同乗したがらなかった、
という話が書かれてあります。

一度はスピードを出しすぎて、
カーブを曲がりきれなかったか何かで、
崖から車が半分はみ出して、
危うく死にそうだったという経験まで書かれてあります。

それはともかく、

危険な崖をよじ登ったり、
バンジージャンプしたり、

世界のアンビリバボーの番組などでも
命知らずの馬鹿げたことをする人たち
いっぱいいますけど、
そういう経験が忘れられないんでしょうね。

でも、瞑想は、そういうことしなくても、
普通にそういう経験ができます。

ただ、そういう経験は、瞑想の味わいを
味わさせてくれる機会になるってことですね。

今日はここまでにします。

えたに